記念小説:1
□バカ、意識しすぎ
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バカ、意識しすぎ
それから三ヶ月が経とうとしていた。
もう既に制服も冬服から夏服へと移行している。
そんな中、徐々に学校生活にも慣れ始め、クラブ活動も定着化してきた頃。
神楽は一つの不満を教室で爆発させていた。
「おかしいアル!!」
「いてててて!」
禿げる禿げる!と言う銀時の言葉など無視して、神楽はその銀色の髪を容赦なく引っ張る。
それを何とか阻止しながら、銀時は痛む頭皮を擦って神楽を睨んだ。
「何すんだボケ!」
「おかしいネ!」
「だから何が!!」
突然の仕打ちにおかしいのはお前だ、と叫んでやりたかったが、途端に机に顔を伏せて唸る神楽にぐっと飲み込む。
「クラブ活動が始まって三ヶ月。」
「あ?」
「もう三ヶ月も経つアル。」
「あー、もうそんなになるか。早いような、まだのような…」
ずずっとお気に入りのいちご牛乳を啜りながら、銀時はすっかり散って青々とした若葉が茂る木を教室から眺めた。
もう三ヶ月、たかが三ヶ月。
その期間の中にはいろんな出来事が詰まりすぎている。
しかし、そのほとんどが、ある少女で埋め尽くされていることは言うまでもない。
「…銀ちゃんは、姉御とハグ、したアルか。」
「……ハグ…って、挨拶のことか。そりゃ、まあ。」
「何回?」
「何回って…そんなんいちいち数えてねーよ。」
もう三ヶ月だ。
それだけあれば少なくとも片手に収まりきらない程度には挨拶、している。
が、何回やっても慣れない。どころか最近は悪化する一方だ。
「じゃあトシちゃんとは?」
「あ?」
「トシちゃんとは何回、ハグしたアルか。」
「………思い出させんな。一生の汚点だよ。」
「…狡い……、」
「は?」
ずっ、と鼻を啜る音がしたかと思うと、神楽は僅かにだがじんわりとその瞳を潤ませていた。
「なになに、どーしちゃったのお前。」
土方と喧嘩でもした?そう言ってその顔を覗き込むと、またぐいと髪を引っ張られ、叫ぶはめになる。
「何なの、ホントにお前はっ!!」
「だから狡いって言ってるネ!私なんか一回も、一回もトシちゃんとハグ、してないアル!!」
きーんと耳鳴りがするほどの大音量でそう叫ばれ、銀時は一瞬意識を飛ばしかける。
が、その言葉の意味を理解すると、は?と目を丸くさせて神楽をまじまじと見た。
「マジで?」
その言葉に神楽はこくり、と不満げに頷く。
「いやいや、有り得ないでしょ。何回クラブ活動したと思ってんの。
それでまだ一回もって。それこそ奇跡だよ。何、何が起こってんの?」
そんなの私が聞きたいアル。そう言ってぶすっと膨れる神楽に、銀時は、あーあー、と憐みの目を向けた。
最近、際立って神楽が発狂している理由はこれか。
このままではいつか本当に丸禿げにされてしまう。
そう恐怖を感じた銀時は、未だ不満げに唸る神楽を置いてそのまま教室を後にした。
そしてその足で向かったのは。
「…あー、志村、いる?」
となりのA組へ足を運び、そのクラスメイトに妙を呼び出してもらう。
妙はいきなりの呼び出しにきょとんと首を傾げたが、何を言うでもなく銀時の後をついていった。
「どうかしたの?」
人気のない廊下まで辿り着いてから、ようやく銀時は妙を振り向いた。
そして一言。
「なぁ、今日のクラブ、遅れて来てくんねぇ?」
「…はあ、」
一体どういう意味だろうと首を傾げる妙に、銀時は事の詳細を話してやった。
「つまり、先に土方くんと神楽ちゃんが部室に行けば、二人が挨拶できるってこと?」
「そーいうこと。」
今まで奇跡としか言いようがないほどの擦れ違いを重ねてきた二人。
妙は、それを聞いて最近の土方の行動のおかしさにも、なるほど、と合点がいった。
クラブに行く前は妙にそわそわしている気がする。
そして部室に入った時の彼の表情は、ほっとしたような残念なような。
そんな彼をいつも妙は不思議そうに眺めていた。
「そうね。二人のためにも、今日は遅れて行くことにするわ。」
「サンキュ。…はあ、これで俺の髪も守られたっつーことで…」
「何?」
「いや、こっちの話。」
ここまでセッティングしてやったのだ。
後は自分たちで何とかしてもらうしかない。
何も知らない土方と神楽は、そうして放課後を迎えた。
「…志村も遅れて行くって言うし、他に誰か来てんのか?」
土方はいつものように部室へと足を運び、扉の前で既に儀式化している言葉を心の中で三回唱えた。
「坂田じゃありませんように。坂田じゃありませんように。坂田じゃありませんように。…よし!」
そうして意を決して扉を開けて、脱力。
「…やっぱ誰もいねぇか。」
はあ、と溜め息をついて定位置化している椅子へどかりと座る。
熱いくらいの日差しが窓から背中を照らし、土方は手を伸ばしてそのカーテンを閉めた。
カチカチと時計の音だけが聞こえる中、ゆっくりとその瞳を閉じようとした、時だった。
「銀ちゃん、姉御ー!遅くなってごめ…」
がちゃ、と元気よく開いた扉から飛び込んでくる小さな影。
それに気付いた土方は思わず椅子から立ち上がってしまった。
「あ、」
「……あ、」
一瞬の沈黙。
普段ならここで、何もなかったかのようにいつもの挨拶が行われる。
習慣って怖い、などと思いながら挨拶するのだが。
今日は違った。
「神、楽…」
「トシ、ちゃん…?」
急にばくばくと互いの心臓が煩く鳴り響く。
挨拶しなければ。そう思うのに身体が言うことを聞かない。
「トシちゃん、だけ、アルか?」
「お、おう。俺が最初みてぇ、だけど…。」
「そ、っか…」
「……………、」
またも沈黙。
今まで神楽と土方が挨拶を交わしたことはない。
嬉しいはず、なのに。
急にその状況に陥ると心の準備が、とか何とか。
神楽はうんうんと唸りながら、珍しく弱腰になっていた。
が、沈黙を破ったのは彼。
「神楽、」
「はい、アル…」
来い。
その言葉に神楽の心臓はどくりと跳ねた。
「…じ、じゃあ、」
「う、うん…」
ゆっくりと、土方の手が上がる。
それに抵抗するでもなく、しかしその場から動くこともできないまま神楽はその手の行方をじっと見守っていた。
土方の手が神楽に触れる。
それにぴくり、と反応しながら、神楽もようやく一歩、前へ踏み出した。
「……………、」
お互い何も喋らない。
下手をすれば心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないかと思うほど。
どくどくと煩い心臓に今にも震えだしてしまいそうな身体。
土方の手がそっと背後に回り、神楽は僅かに息をのんだ。
「………、」
ゆっくりと、そしてやんわりと、二人の距離は縮まった。
ハグというにはあまりに柔らかい。
土方は神楽の背中に申し訳程度触れており、神楽もまた、土方の制服の裾をほんの少しだけ握り締める。
僅かに距離を保ちながら、それでも互いの近さに今にも沸騰してしまいそうだった。
「ト、トシちゃん……、」
「………、」
「ご、『ご機嫌、いかが』アルか?」
「…あー、……まぁまぁ、かな…、」
「そっか…、」
そう言うと、目の前の温もりがすっと離れる。
それに互いに寂しい気持ちになりながらも、気付かれないようにそっと長い息を吐いた。
こんなに疲れる挨拶は始めてだ。
「…姉御たち、まだかな。」
「そーだ、な。」
二人して僅かに距離を持ちながら、しかししっかりと意識はして。
土方は元の椅子に、神楽はソファの上で膝を抱えて。
未だ来る気配のない残り二人部員を今か今かと待ち侘びた。
早くこの空気を何とかしてくれ!
でないとどうにかなってしまいそうな気持ちを必死に押し殺して、土方と神楽は相手に見られないように痛む胸をぎゅうと握り締めた。
「…入り辛いんですけど、」
「良かったわね、二人とも。」
二人の甘い空気にあてられて、入る機会を逃した可哀想な部員が二名。
銀時は今日の日誌のネタはこれだと心に決めて、後もう少し二人を見守ることにした。
end
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