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□きす☆みす
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机上に積まれた大量のプレゼントを、さてどうしたものかと思い眺めた。

年中行事のなかでも、土方からすれば一際どうでもいいイベントであり、むしろなくていんじゃね?的な日、バレンタイン。

一般的且つ精神肉体共に健康な10代男子であれば、こころ密かにときめかせ、机の中や下駄箱に愛らしい包みや、可愛らしい手紙がありはしないかと考えを巡らせるものだ。
だが土方の場合、見た目が非常によろしい。女子生徒のみならず、教諭までも虜にする程のイケメンさんだ。そして内面はどうかとなると、いたって愛想はよくない。仲のいい友人ならまだごく普通にコミュニケーションが成り立つ。だが面識のない人(たとえば他のクラスの生徒)から軽く声をかけられようものなら、「ぁあ?」と睨みつく。何処ぞの教師曰く「おーい瞳孔開いてっぞぉ。本当にお前18か?」の、そらぁきっついがん飛ばしだ。
その刃の切っ先のような鋭さがまた、M気質を少なからずもつ一部…いや、大半の女子に大ウケで、そりゃあもうモテてモテてしょうがないのである。
例えば、校庭で体育のサッカーをしていたとき、あと何分で授業が終わるか気になり校舎の時計を見ようとした。たまったま校舎の中(校庭に面するように廊下が作られている)の女子生徒は土方を見た。偶然である。だが、彼女は思った。

「今、絶対目があった!!も…もしかして私のこと見てた?!」

とにかくこれと似たようなことがしょっちゅうおきる。
モテたくて仕方が無い同年代男子からすれば羨ましいこと限りなしの話だ。しかし、土方自身モテて嬉しいと感じない。なんだかよくわからないうちに周りでキャーキャー囃し立てられ盛り上がられてるだけだろう、そう思っている。
この素っ気無さがまた人気に拍車をかけているという、なんとも皮肉な悪循環がおきているのだが。

それでいて好きな相手にチョコをあげようなんてイベントがこれ、バレンタイン。
一体誰が始めたのかバレンタイン。


-------まぁ起源は1人の慈愛に満ちた教会牧師の逸話にあるのだが、チョコを贈る云々は戦後一部の製菓メーカーが推し進めたキャンペーンである…なんてのは知られていない。

この、机上にこんもりと詰まれた包みをどうしろというのか。食べろと、全部食えってことかと。
直接渡せないにしろ、誰もいない教室に戻ってきたときのあの驚きと、ああ今年もきたかという若干の諦めがない交ぜになって双肩にのしかかる。

捨てるという手段もあるが、そこまで非人道的な行為は毎年できないでいた。いいところバレンタインのメインたる告白だの付き合うだの、色恋に全く興味のないクラスメイトの女子あたりに処理してもらうもが常套手段だったりする。
今年もそうしたいところだったが、そうはいかない。


卒業生である三年生が、本来この時期、学校にいるはずがないのだ。


「あぁ〜〜、全部持って帰れってかぁ…?」

救世主の登場は期待できない以上、自力でなんとかするしかない。
その手段とて、せいぜい持ち帰って家族に食わせるぐらいの、手段とすら呼べない方法だが。それに家族にあれこれ勘ぐられるのもかなり嫌だ。やはりこの方法は避けたい。


がらがら、と無遠慮に教室の扉が開かれたのは、チョコを捨てるか家族に食わすかの二者択一を迫られた、夕方であった。
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