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□ケイアキでバレンタイン
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帰宅ラッシュの満員電車とまではいかないが、それでも外套を着込んだ乗客が重なるように立ち並ぶ車内は、暖房の効果もあってか蒸し暑さを感じる。
いつもより早めの帰宅を予定していた為か、日中は普段よりも仕事の内容を切り上げて臨んできた疲労感が脳から足元へと広がり、うっすらとアキラは眠気を感じた。
ヘッドホンからの音楽も少し遠いような気がする。
目を閉じると頭がうつらうつらと揺らぐ。
それでも、数年通い慣れた通勤路を体が覚えてしまっているのか、家があるアパートからの最寄り駅に到着すると、自然と体が覚醒し、乗降口付近へと移動した。
地下鉄のホームに降りると電車の通る線路の先から風が吹き付ける。外気とは違うが、そ
れでも電車内の暖房に慣れてしまった体は少しの寒さを覚えた。
人の流れに沿って階段を上る。
天井が外の世界と繋がり、空がビルの合間から見える。
紫がかった空にまだ少し赤みが差している。
こんな時間に会社から出るのは久々だと思うと、ふと唇の角が柔らかくあがった。
階段を上りきる手前で携帯のバイブがコートのポケットを揺らした。
着信を見て、電話に出る。
『アキラ?今、どのあたり?』
「もう駅、改札口向かってる所だ。」
いつも聞きなれた声。
『わかった、改札口の前で待ってるから。』
改札口はすでに目の前。
アキラの視線が人の波の中から電話の主を探す。
大きく広告が貼られた柱の前に、その存在を確認すると、首を竦めてアキラはくすりと笑った。
「ケイスケ、なんでここにいるんだよ。」
家で待ちあわせようと言っていたはずなのに・・・、ケイスケが仕事からあがる時間は、定時きっかりだとしてもアキラが今駅に着いた頃の時間だ。駅で待っているなんて、さすがに早過ぎる。
「え?・・ああ、今日アキラと夜用事があるんだって言ったら、工場長が早くあがって迎えに行けってさ。」
きっと色々と茶化されたのだろう、工場の話をしながらケイスケは困ったような顔付きでいながらも嬉しそうに話す。
「たまには遊びに来いって。みんな会いたがってた。」
「・・・ああ。そうだな、最近忙しいからって行ってなかったな。」
工場に住み込みで働いていた時期が脳裏に過ぎる。
懐かしいと思うにはまだ記憶は昨日のことのように鮮明だ。
労働をするということ自体、アキラにとっては未知のものだった。
仕事は厳しく教え込まれ、それでも充実したものがあった。
同じ場所で、ケイスケの姿を見て、追って、そして自分も自分なりに少しでも仕事ができるようになれたらと必死だった。
任される仕事も責任のあるものが増え、いよいよ一人前だろうという時期、ふと思った。
今の自分はこのままでいいものなのかどうか。
ケイスケの傍にいたいという気持ちは当然ある。
けれども、どこかが違うと感じた。
それは余裕から出てきた我儘であっただろうし、新しい芽生えだったとも言える。
ケイスケは今の工場の仕事がやはり自分には合ってると言っていた。
じゃあ、自分は?と自己投影してみると、ケイスケがいなかったら、果たして続けていただろうかと考えた。
アキラ自身が答えを出して、決めた道を自分なりに歩いてみたいと、そう思うようになった。
もっと、ちゃんと向き合いたいと思う故に。
「アキラ、俺さ・・・今でもけっこう後悔してるんだ。」
「え?」
つい記憶を巡ってしまっていた。
会話の途中だったかと、驚きケイスケの顔を見る。
「アキラが工場辞めて、自分なりに仕事見つけたいって言った時の。・・俺単純だから、アキラが俺の傍から離れちゃうっていうか、別れたいのかなとか考えちゃって・・・だいぶ酷いこと言ったよな。」
「そう言えば、そうだったか?」
忘れたような素振りで返すが、視線はしっかりと覚えているという目でわざとケイスケを見た。
「おいおい、まさかまだアキラ、根に持ってるとか言わないよな?」
「どうだか。」
そしてわざと歩く速度をあげてやると、弱ったような声でケイスケがアキラの後を追った。
「あの時はそれでだいぶ泣かされた気がする。」
今となってはこうして会話のネタにもできることが、なんだか心地良い。
「泣かされたって、アキラ・・・俺の記憶じゃ、部屋中の物が俺に飛んできて、俺も部屋もボロボロになったっていうのばかりなんだけどさ・・・・。」
ケイスケの方が記憶力は良かったようだ。言われた内容が、克明に映像を再生するとその時の感情まで蘇る。けれども今はもう痛みを感じない。
くるりとアキラが振り返って立ち止まる。
「ちゃんと覚えてる。それで、大家さんが喧嘩の最中にぶっ飛んできて、それから正座させられて説教されたよな、俺達。」
そして何度も言い合いをして、理解し合って、今も変わらず一緒に、共に生きている。
ずっと死ぬまで、永遠に平穏なことなんてない。
改めて思う。
そんな起伏のある日々を共に過ごしてきた相手がケイスケで良かったと。
「何?俺の顔みて。」
「なんでもない。」
(ついいらないことまで考えた。)
多少の熱りを覚えてアキラはまた歩き出した。
もう空は落ちて街頭の光が街行く人々と自分達を照らしている。
寒いはずなのに、なんだか暖かい。
その理由に、抵抗はしない。
滲み出る幸福感を肯定する。
「アキラ?」
「・・・・。」
返事をしないアキラにケイスケはにやっと笑い、アキラを追い越すように横を歩き、空いていたアキラの手を握る。
ひんやりとした手が反射的にケイスケの手を握り返したが、すぐに指はまっすぐに伸ばされる。
「おい、何繋いでるんだよ!」
「アキラって、いまだに何か照れることあると黙るよな。そういうところ、ほんと・・・・。」
耳元で囁かれ、アキラはケイスケを睨む。
「離せ、手。」
言われてもケイスケは手を離さない。
だからと言ってアキラから離れるという行為も無い。
「店、アキラわからないだろ?だから、このまま行こう?」
「・・・・。」
手を初めて繋いで歩いたのはいつだろうと、ケイスケはふと思い出す。
そして、ああ、と一人心に落とす。
トシマから出る時だ。
「背伸びたな。」
並んで歩くアキラが声をかけた。
自覚は無いが、確かに、あの頃から少し身長は伸びた。
緩やかですぐには気づかないが、あれから、トシマの出来事から10年、変わらないわけがない。
けれどもこうして手を繋ぐと変わらないものもあるとはっきりとケイスケは自覚する。
「アキラは変わらないな。」
「・・・うるさいな。」
「あの時と変わらない。ちゃんと今も繋いでくれてる。」
ケイスケの言葉に、アキラはケイスケをみつめたものの言葉は返さなかった。
言葉の代わりに、アキラの指はケイスケの手に添うように強く握り返した。
それだけで十分だった。
どんなに二人の姿かたち、環境がこれから変わっていっても、彼は隣りにいてくれる。
手のひらが、指が、アキラと繋いでくれる。どんな時も。
言葉なんて無くても、伝わる。この温もりと、強さで。
ただコンクリートを靴が叩く音だけ響かせた。
アキラの真っ直ぐ向く顔を横目に見る。
横切る車のライトに瞳が反射する。
通り抜けるビルの灯りが頬を照らす。
(綺麗になった。)
素直にそう思う。
元々、端整な顔立ちをしていた。ただ、その見た目だけの綺麗さを言っているのではなく、もっと、魂の部分からより綺麗になったと感じる。
今すぐ抱きしめたいほどに。
すぐにでも渡したいものがある。
抱きしめて、手渡して、どんな顔をしてくれるのだろう。
たくさんの年月を過ごしてきたのに、予測できず苦笑いする。
まだまだ自分は臆病だと思う。
ほどなくして、飲食店に着く。
ケイスケがたまには外食でもと誘った店だった。
朝出勤する時間も、帰宅する時間も二人一緒の時はあまりない。
食事をゆっくり二人で過ごすことが多い月もあれば、そうでもない月もある。
今月は、どうだっただろうか・・・。
「そういう訳で誘ったんじゃないんだろ?」
アキラが目の前のケイスケの建前に釘を刺す。
ケイスケは肩をすくめて笑った。
「あれ?アキラもちゃんと暦見るようになったんだ。」
今日の日付は、2月14日。
バレンタインデーである。
「・・・・毎年毎年お願いされてたらいい加減覚える。」
そう言って、アキラは鞄から小さい包みをテーブルの上に置く。
まだまだ最初のあたりはイベント事にはほとほと興味が無いアキラだったが、ケイスケの熱に段々染められていった。それでも自分から申し出るのはまだ羞恥を覚える。
「はい。」
慣れたような言い方だが、手つきがぶっきらぼうに動く。
やはり、どうにもこの手の行事は苦手だ。
その手から置かれた手の込んだ包装がケイスケの眼に映る。
「今年は買ったの?」
ケイスケが強請るせいか、毎年アキラはチョコを作らされる。
味は愛情でカバーと言い聞かせなくてはいけないものなのだが、それでも毎年、ケイスケのリクエストは手作りだった。
「・・・作ったよ。」
「え、ええ?!」
どう見てもいい店で売っているようなあつらえだ。
「多分、中の味も大丈夫。ちゃんと調べて練習した・・・・俺だって、いい加減上達するんだよ。10年だぞ。」
はっとケイスケの顔があがった。
「何だよ。」
照れくさそうにするアキラを、ケイスケは真顔で見る。
バレンタインを覚えていたということよりも、その言葉にケイスケは驚いた。
「ケイスケ?」
「・・いや、いきなり10年って言うから。」
「俺、数え間違えてたか?トシマ出てから10年だろ、今年。」
感心したと同時にトシマという単語にケイスケは顔を濁らせる。
「・・・・悪い。気分悪くしたか?言わないほうが良かったか?」
脳の片隅に確実な苦味を覚えたことは正直に認める。
トシマでのことは10年一緒にいたとはいえども、お互い会話には極力出さないようにしていた。
今もなお続く悪夢と罪悪感、断罪の繰り返し。
そして同時に思い出す。
どんなに遅く、疲れて帰ってきても、うなされるケイスケをアキラは見守ってくれる。
ぐちゃぐちゃになった心と共に目を覚ますと手を握ってくれる、抱きしめてくれる。隣りにいてくれるアキラを。
トシマでラインに苦しんだ自分を、ずっと看病してくれていた時と変わらない強さで。
ケイスケは顔を横に振った。
「いつも・・・死にたくなるほど苦しくて痛くてどうしようもないけど、でもトシマでのことってそれだけじゃないってこと、ちゃんと忘れてない。アキラのこと、好きでよかったってこと。アキラが俺を好きでいてくれたってこと。」
だから大丈夫だ、と笑顔を作った。
作り笑顔なのかもしれない。けれども、でまかせや取り繕いではなく、今の自分を表すには笑顔を作ることだった。
きちんとアキラに応えたくて。
アキラは眉を寄せて苦しそうな表情をしていた。
少し沈黙をして、そしてアキラも大丈夫だと笑顔で言ってみせるケイスケに応えるように溜息を小さく混じらせた笑みで、うん、とだけ返事をした。
「もう、出ようか。」
そう提案したのはアキラだった。
店を出ると、アキラの指がケイスケの手を取った。
「寒いだろ?」
ただ、それだけ言うと、アキラは歩き出す。
帰り道はすでに繁華街の賑わいは消え、冬のシンとした音が耳に響く。
徐々に寒さが風とともに体を包んでいく。
「・・・ケイスケ。」
ポツリとアキラが言葉を紡いだ。
「俺は、お前に何かしてやれてるか?」
聞き逃してしまいそうなほど小さな声が、ひどく辛さを訴えているようだった。
「してくれてる。」
答えたケイスケにアキラは咄嗟に振り向く。
振り向いた先のケイスケの顔がいつになく真剣で、アキラは立ち止まる。
「・・・・。」
例えばどんなことを?そんな女々しいことを聞いてしまいそうになる自身に歯止めをかける。
ケイスケが抱え続けるものは10年経っても変わらない。
自分は、何をしていたのだろうとそんなことを考えてしまう。
「ねえ、アキラ。」
繋いでいないケイスケの手が、コートのポケットをまさぐる。
「さっき、俺からのプレゼント渡しそびれてたんだ。」
そう言うと、アキラの手を取り、スッと手の平で隠すように何かを施される。
「俺、アキラに今までずっと幸せにしてもらえた。それなのに、ちゃんと感謝してなかったよな。」
ケイスケの手が離れ、アキラの左手に真新しく光るリングだけ残る。
「ありがとう、アキラ。」
「・・・。」
何事が起きたのか、きちんと理解しようと、薬指におさまるリングを目の前に近づけた。
「10年だろ。そろそろ、もうこういうのしてもいいかなって。嫌?」
「・・・・・・。」
ゆっくりと横に顔を振る。
「これからは、アキラを幸せにしたいんだ。」
そう言いながら、アキラが掲げているように、ケイスケも左手を見せる。同じく薬指におさまる、同じデザインのリングがある。
「お前、本当わかってない。」
アキラの白い息が、声とともに漏れて上昇し、空気に溶けた。
一呼吸を置く。
息を吸って、吐く。
ケイスケに言ってやりたいことがあるのに、声が出ない。
「そんなんじゃ・・・・俺が・・・。」
「アキラ?」
俯いて、握り潰すように、右手で自分の左拳を包む。
こんな気持ちにさせられているのに、まるで自分は今まで幸せじゃなかったような言い方をするケイスケが憎らしい。
憎らしくてきちんと言ってやりたい。
それなのに、どうして言葉がでてこないのか。
あの頃に比べれば、少しは口の拙さは成長したはずなのに。
言葉の代わりに溢れる熱い雫が睫毛を濡らす。
ふと苦しさが無くなった。
ケイスケに抱きしめられる。
「・・・・うっ。」
自然と声が漏れ出る。
何も言わずに抱きとめるケイスケの腕に、体に、溶けてしまえそうなほど苦しさがまどろんでいく。
「俺が、・・・・俺は、ケイスケといれてよかったって・・・、ずっと・・・・っ。」
「うん・・・ありがとう。」
顔を向けさせられる。
きっと、ひどい顔になっている。それなのにケイスケは優しく笑い、潤むアキラの瞳の中に映る。
「アキラ、俺すごく幸せ。アキラは?」
触れ、合わさったアキラの唇はとても熱かった。
その唇が、4つの文字を唇越しに綴ると、そのまま深く交わる。
しあわせと綴ったアキラの唇は、笑みになって溶けた。
そして、名残惜しむようにキスから離れると、アキラはケイスケを抱え込むようにまた抱きしめた。
「お前も、幸せになるんだよ。これからずっと。二人で。」
これから先ずっと。
そして、そっと重ねられた左手を、ケイスケは強く握り返した。



END

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