07/17の日記

17:00
EDEN REJECTION 34
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風を切る音。
そして、崩れ落ちる音。
それだけの音だけを部屋に残し、静寂が走る。
息遣いも聞えないほどの空気はまるで時が止まったかのようだった。
目の前に立ち尽くすアキラが、力が抜けたように立ちすくんだまま動かない。
「泣いているのか?」
動かないアキラに言葉をかけると、俯いていた顔を横に振る。
折れそうな腕はガタガタと震え、大きく上半身で息を吐く。
シキの興味を引かせるためでも、命令でもない。
戯れでもなんでもない、ただその中に罪悪感だけを残した一個人の殺害を、意思を持ってアキラは行った。
劣情のままに目の前の無抵抗者を切った人間の姿を目の当たりにする。
体が軋みそうなほどの痛みを左腕から訴える。
(何を・・・。)
アキラに向かって歩き出そうとした自分に驚かされる。
立っていることすらままならず腰を床につけて一部始終を見ていた。
『シキと一緒にいたいんだ。』
その一言が、ただの所有物に成り果てた傀儡の妄言とは思わなかった。どうして思えるだろうか。
誤魔化せないところまで己を理解してしまった。
そのたった一言で、どうしてこんなにも欲しいと思うのか。
一度、捨てた物を。
アキラはかぶりを振ってそのまま顔をあげると、返り血で塗れた頬が大粒の涙で汚れていた。それでも、アキラは耐えるように歯を食いしばって否定する。
「泣いて・・・な・・・い・・っ!」
止め処なく濡らす瞳をシキに向けて、必死に訴える。
「・・・っく・・・。」
体を揺り起こすだけでも眩暈が走る。
視界が霞みそうになるが、顔を歪めて両足を床に立たせる。ほんの数メートルだというのに途方も無く感じる距離が忌々しい。
こんなにも呼吸は乱れるのに、こんなにもバラバラになりそうなほど肉体の欠損とは違う、内から込み上げる苦痛が全身を覆うのに、届かない。
それでも、この手に触れたいと体が動く。精神が昂る。
「俺の、・・・世界は、シキのいる所だけだった、ずっと・・・・。」
搾り取るようにアキラはシキに言う。
「どんなに血が流れても、いい、苦しくても、痛くても、いい。」
アキラの言葉に猛烈な眩暈を起こす。
「ただ、傍に、・・・傍にいたい。」
捨てた物を・・・・・・・何を言っているのだろうか。
これを手に入れていたと言いたいのかと、シキは自身を責めたてる。
何も、何一つとして自分は得ていなかったことに愕然とする。ほんの一枚の皮膜の差で、手に入れていた存在だと思い込んでいた。
閉じ込めていたなどとよくも幻を見ていたものだと深く思い知らされる。
「は・・・・っ。」
言うことを利かない体が地面に惨めたらしく落ちる。
それでも伸ばす腕が、指がアキラの足元に触れる。
肩で大きく息を吐く。
喉はカラカラに焼きつき、じわりと引いていく血の気にすでに半分意識は持っていかれている。
腰から抱き寄せる。
支えの無い体がアキラもろともよろめくが、なんとか支えて強く掻き抱く。
互いに血に汚れ、見るも無残に醜態を晒している。観衆がいたらさぞかし笑いものにされる姿であろう。
縋るなどと、死んだほうがまだましだ。
しかし、自身のこの行動に一切の疑念も嘲笑も出てこない。
肉体が朽ちることよりも、この手を離すことがどれだけ死に近いか、苦痛を伴うのか・・・・・今その答えがわかる。
「傍にいるがいい。・・・・お前は、俺だけのものでいろ・・・・永遠に。」
まるで請うように、熱望するように、シキの言葉がアキラに届く。答えるように、シキの頭を抱きこみ、そのままどこまでも黒い髪の中に顔を埋める。
「いる・・・・俺は、シキだけのものになる・・・、なりたい。」
その言葉をシキは全身で受け止めると、まるで全てが溶けるように温かく顔をほころばせた。
そして、ようやく一言、魂を込めた言葉をアキラへと捧げる。
「俺も、俺の全てをお前にくれてやる。」
顔をあげると、アキラが驚いたようにこちらを見ていた。
「・・・・・どういう、?」
目の前の人間がその手に鈍いことは以前から重々承知だったが、あまりに理解していないという表情にシキは苦笑した。
「だから・・・・。」
シキの言葉はアキラの、その血で渇ききった唇へ、溶け込むように消えていった。

―刻々と時間は過ぎ、爆音、怒号はさらに城を揺るがす。
シキの所在がわからないこと、頼みの有力な戦力の損失が敵方に動揺を与えているようだった。
「随分と手荒にやってくれたものだな。」
裏口に繋がる通路の影で、不器用にもきつく巻かれた包帯を目にしてシキが呟いた。
「仕方ないだろ・・・・。手当てとか、そんなにやったことないし。あっても、遊びだったし・・・。」
目の前で小さく体を屈ませていたアキラが思いついたように立ち上がり、シキの前でひらりと一回りしてみせた。
「なあ、見てよ。似合う?」
下手に動くと死に直面するという場面だというのに、アキラは笑顔で普段着慣れていない衣服をシキに見せてはしゃいでいる。
「シキ、これ、俺が着てていい?」
シキのコートの裾を嬉しそうに翻す。
「あまりはしゃぐな。向こうに感づかれる。」
アキラをたしなめ、シキは通路を歩き出した。
暗闇が広がる。
デジャヴを覚えた。いつか歩いたトシマから抜ける道を思い出す。
「本当に、お前はそれでいいのか?」
隣で腕に巻きついたまま歩くアキラへと問うた。
まだ目元が赤いアキラを見る。
アキラは小さくうなづいた。
「でも、このままはいやだ。・・・言っただろ。」
・・・・シキを殺すものは、世界すらも許さない、と。
「シキが歩く世界が俺の世界なら、俺は、この国も、どこまでもシキの世界にしてあげる。」
ふわりと、閉じ込められた部屋で見せていたいつもの笑顔でアキラは答えた。しかし、その瞳には空虚さはもう無かった。
「いい答えだ。」
シキが満足そうに笑みを浮かべた。
暗闇が赤に染まる。
大切だった人を自ら滅ぼした喪失感も、手に残した肉を絶つ感触も全てを記憶させたまま、アキラはシキの後ろについて行った。そして一つ、また一つと返り血で染まりながら歩く。
この先に、殺戮と悪意だけしかなくとも、その最果てで目の前にシキがいてくれるなら、自分は真っ直ぐ歩いていける。
どんなに、誰かがこんな自分を狂っていると非難しようとも、否定しようとも、シキが存在を肯定してくれる、愛を囁いてくれるならそれだけでいい。
はじめて、神という存在に心から感謝する。
苦痛も、悲憤も、快楽も、全てくれたことを。
「この国を奪い返す。来い、アキラ。」
支配者の瞳にアキラは陶酔する。そして、幸福というものを知る。
「うん。奪おう、シキ。」
すでに夜明けが迫る空を目にした。
なんとも禍々しくも美しい深紅なのだろうと一瞬見入ってしまう。
全てを飲み込んでしまいそうなほどの赤い世界。
きっと、これが血に塗れた狂気の世界なのだろう。でも、それは違う。

だって、こんなにも世界は愛に満ちている。


END

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