その他

□遍く淀
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蟲の見得る者ならば、この肋屋は緑に光って見える。その主も然り。

「達者だったか」
薄明るい塊に来訪を告げた。

「見ての通りね」
其れが声を発する様は矢張り異様だ。もう、慣れたものだが。

蟲煙草の煙で光に穴が空くと、漸く床らしい床が顔を覗かせた。其処に胡座をかいた俺の前に、床と同時に露になった女の姿が浮かび、光の塊と同じ声で呼びかける。
「久し振りだね、ギンコ」

「また増えたんじゃねぇのか」
「お陰で食うにも困らんよ」
書面では、自らを好んで「妾」と称する女だ。わらう声も顔も、何処か皮肉めいて意志は無い。
呼蟲師、というのが彼女の生業だった。
蟲を体内に寄せ、村々の均衡を保つ者。
一方には言い寄られる侭、他方には忌まわれる侭の生き様は、成る程「妾」に相応しい。



一人の友人として、話しに立ち寄るのは俺くらいのものだと言う。

「喩えば、すべてを根絶やす蟲が居たとして、それを寄せればどうなる」
「淡幽嬢の憑物かい?」
「…ああ」
「あれは駄目だ、他の蟲が逃げちまう」
人ひとりの為には成れやしない。多くは語らない其の目が、この時ばかりは辛そうに歪んだ。

「他に面白い話は?」
喉が渇くまで話せど、仕事の話は尽きない。
以前も、こうして互いに語り合えば、根負けするのは何時も太陽の方だった。


「そろそろ頃合かい」
蟲除けの香が、粗方白い山になると、彼女は切り出した。
「妾の家じゃあ水も出ないよ、あんたが溶けたら困るだろ」
「水蟲まで飼ってやがるのか」
「なに、肌はこの通り白魚の如しさね」
からからと笑いながら言われては、心配する気も灰と落ちる。

「麓の村の蕎麦屋にでも寄って行けば良い。…美味いって評判らしいから」

「あぁ、そうするよ。邪魔したな」


「次来るまでに、死ぬなよ」

我ながら、気の利かない去り言葉だった。
腑の中迄も蟲にくれてやった女は、しかし人間らしく手を振るのだ。

「そっくりそのまま返すよ」



帰り際にも、其処は緑色に淡く、この世の凡そ全てを淀ませていた。


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