5万打

□ステップアップ!
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真冬にしては暖かい昼過ぎ。これくらい陽が照っているなら防寒は必要なかったかな、と無造作に机の中に突っ込まれたマフラーを見た。


「おーい、聞いてる?」
「え、あ、うん!もちろん!」


そ?と言って突き出してきた頭を退く彼をぼうっと見つめた。聞いてなかった、わけではない。右耳から左耳に抜けた感じはするけど。
同じ古典のノートを広げて机を寄せている状態。彼の身体が少し寄って私のノートに書かれた文を指差した。
ここ、線引いた方がいいよ。言われた通りオレンジのペンで一本線を書いた。
昨日、2学期の期末試験の3日前を過ぎた。毎日ぼけっと過ごしている私が危機的状況に気付いたのは朝のHRで先生の話を聞いてからだった。
当然勉強なんてしているはずがなくて、頼りの友達にも見捨てられ途方に暮れていた私を拾ってくれたのが、この西広辰太郎先生だったりする。先生というのはもちろんあだ名で、彼はれっきとした私のクラスメイトだ。自分の勉強を遅らせてまで見てくれるなんて、彼は本物の神様だと思う。
話を聞いて、練習問題を解いて。30分も経つころには、私の頭はもうパンパンだった。


「あー、もう意味わかんないっ」
「毎日寝てるから仕方ないなー」
「あ、ばれてた?」
「オレ席後ろだから見えるんだよ」


西広は片手でペンをくるくると回しながら笑った。お、かっこいーなー。ペンを回せる人はみんなかっこよく見えるのだから不思議だ。
何度もペンを回す右手が面白くて、食い入るように見つめる。そんな面白い?尋ねられて、即答して顔を上げると、目の前の西広は照れくさそうに笑っていた。
とくん、小さな音が聞こえた気がした。すっきりしていた胸にひとつの気持ちが、ぽとりと落とされた。
急に恥ずかしくなって、ごまかすように笑って手元に目線を落とした。丸々1ページが文字で埋まったノートが見えた。


「・・・わたし、あほだ」
「なにが?」
「好きなひと、できた」


は?と一言、それだけ吐き出された。ぽとりとペンが落ちた。わかってる、驚くのも無理はない。こんな唐突に、しかもまるで関係のない話を。傍から見ればただ勉強から逃げたがってふざけているように思えるだろう発言に、西広はぽかんと口を開いてまんまと引っ掛かってくれた。もちろん意識したわけではないのだが。
無意味に思える沈黙が続く。こんな居心地の悪さを作ってしまうのなら言わなければ良かったのかもしれない。それでも、思ったことをそのまま言葉にしてしまうのが私の癖だった。
ああ、なんか今日はもうだめだ。放り出されたペンや消しゴムをしまって、ノートと一緒に鞄に突っ込んだ。西広はそんな私の行動をただじっと見ていた。


「あーあ、私結婚するなら絶対頭いい人にしよっと」
「・・・あのさ、さっきから脈絡も何もないんだけど」
「例えばー」
「おーい?」


西広の言葉を全部流して、勉強道具を片付けながら考えるふりをした。西広は未だにぼけっとしている。
がたたっ、と音を立てて席を立てば、視線は彼よりぐっと高くなった。


「例えば、西広みたいな人!」
「!」


冗談っぽく言って、笑って、くっつけていた机を離した。びっくりした表情を見ると顔が熱くなってどうしようもなくなってしまう。
試験勉強、付き合ってくれてありがとう。それしか言えなかった。さっきの続きの言葉なんて考えていなかったのだから。
そのまま普通に教室を出て、普通に帰るつもりだった。
西広に、呼び止められなかったら。


「あのさ!」
「ん?」
「・・・一緒に帰んない?」


西広が笑った。たぶん、私とおんなじように。
言った後から自信をなくしてしまったのか、きょろ、と動く視線を追う。
くっ、と喉の奥から込み上げてきそうな笑いを表情の裏に隠した。
おんなじ。私も、彼も。


「うん、帰る」


すっかり日の沈んだ道を並んで歩く間、慣れない雰囲気と距離にふたりで何度も笑った。





ステップアップ!
(なんて短い片思い、なんて暖かい真冬の空)


―――


先生かわいいですよね^^



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