非表示の短編用ブック

□ひそやかな決意
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どんな群衆の中でも君を見つけられる。そのシルエットが僕を惹き付ける。





「神に打たせるな!」


マークをかいくぐりフリーになった瞬間、絶好のタイミングでスリーポイントラインからボールを放つ。
ざわついていた観客席が一瞬水を打ったように静まり返り、ボールが何のためらいもなくゴールネットを通り抜けるシュッという摩擦音が響いた。
沸き起こる歓声にキャプテンの神は手を挙げて応える。
正確には、興奮した表情で自分を見る名無しさんに向かって。



高3のインターハイ予選、キャプテンとして迎える夏は間近。
格下の相手との試合内容に監督の高頭からも特に言葉はなく、神は出発時刻まで各自支度を済ませるよう部員に指示を出した。
汗を拭いたあと彼が向かったのは、まだ観客席にいるだろう名無しさんの元だった。




彼女は神の家庭教師だ。
陵南から都内の有名私大に進学した名無しさんを見つけてきたのは彼の母親で、テスト期間中だけ来てもらっている。
「とってもいいお嬢さんね」といたく気に入ったのは母親だけではない。
ポイントを押さえた教え方から伝わる真面目な性格、人見知りするものの慣れれば色々話してくれる所を神は可愛らしく思っていた。


あれは5月、中間テスト期間中のこと。
試合を見たいと言い出したのは名無しさんの方だった。



「宗一郎くんは海南バスケ部のキャプテンなんだよね。迷惑じゃなければ、今度見に行っちゃダメかなぁ。
私も高校の時バスケ部のマネージャーだったんだ。なんか懐かしくなってきちゃって」



彼女に憧れながらも何も出来ずにいた神にとっては願ったり叶ったりで、ようやく彼女を試合に呼べたのが今日になる。






心地よい高揚感が観客席に急ぐ神の体を巡る。
開け放たれた窓から入る初夏の風が黒いベロアのカーテンをかすかに揺らしていた。



立ち上がって周りを見回していた名無しさんが神に気づき、安堵の表情を浮かべて手を振る。
それを見た神も自然と早足になった。




「名無しさんさん、」



「宗一郎くんお疲れ!すごくカッコ良かったー!
やっぱり教え子が活躍してる姿を見られるっていいね。先生として大満足」



彼女はそう言いながら手に持っていたものを丁寧に差し出した。




「そうそう、さっき差し入れを買ってきたんだ」


「あ、ごちそうさまです。嬉しいです」



「いいから気にしないで、今日は本当に見てて楽しかったの。ありがとうね」


名無しさんの振る舞いに合わせて丁寧に受け取ったポカリスエットの冷たい感覚に、いや彼女の無邪気な言葉に、神の高揚した気分が落ち着いていく。


先生として満足、だなんてちょっとひどいな。
僕の先生なのはテスト期間だけで充分じゃない?






そう思いかけた瞬間、

「お疲れさま、“宗一郎”くん」



気に留めてさえいなかった隣の席からゆったりと立ち上がったのは、陵南の黒いジャージを着た仙道だった。
仙道は普段自分を神と呼び捨てにしていたはず。そして一体なぜここに?



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