全てが優しい世界に満ちて

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「おかけになった電話は―――電波が届かない場所にあるかーーー…」

「――――ッ」

何度も鳴らしても出ない電話越しで舌打ちを零した俺は、壁に背中をつけた。
当麻戦線の護衛にあたった彼女が無事なのか不安に想えてしまうけども。


それでも――俺にできることは。
信じて待つだけで。


「―――おや…、こんなところでどうしたんですか。」
「―――ッ」


雨が酷い空を見上げていた俺の隣に現れた男の顔に目を見開いたのは仕方ないだろう。
ずっと、エミの傍にいたあの男だ。


「―――あんた…エミの…」
「はい。火村ユコトと申します。―ーあなたはエミさんの家族の方でしたかね…?」
「ええ。そうですが…」


余裕の笑みで俺を見つめる男の顔を見上げながら俺は視線を逸らした。
今の自分は見てほしくない――。
危険な状況にいる彼女が心配でたまらない自分の余裕の無さ。


「―――彼女、可愛らしいですよね。」
「―――は」

何かの聞き間違いだろうか。
思わず目を丸めた俺に視線を向けた火村の目が俺を見つめた。


「―――あの容姿で、あの子は強い…。俺も驚くほどに…」
「……」
「生憎、俺は家族の君と違ってあの子を守ることができる立場だからね…。どうだい…?」


いっそ、その苦痛から逃げてみるのは。
怖いんだろう。あの子を失うのは。


火村ユコトの言葉は尤もだ。
俺は図書隊の業務部で彼女とは立場も内容も違う。

尚更、違う世界から来たという彼女の過去が俺と重なったことも奇跡なのだ。


彼女を大事に見守っていた頃から、
俺はずっと怖かった。

―――でも。



(―――こいつは分かっていない)


「―――残念だが。」
「ん?」
「俺はあいつを手放す気も失う気もないけど。…あいつと出会ったときからずっと、俺は待っているって決めたんだ。」


俺が待っている場所に必ず帰ってくるエミの居場所を。
俺は捨てる気もないし、壊す気もない。


「―――あんたが可愛いって思っている以上に、俺はあいつが大切で可愛いってこと、知ってるんだけど?」


雨が止み、空を見せた瞬間―――己の視界に入ったのは震える火村ユコトの姿。


「――あはははッ!…あの子をこんなに溺愛するなんて…予想外でしたね…!」
「―――は?」


先ほどまで男声だった火村ユコトの声が女に変わった変化に驚きを覚えるのは当然で。
手を重ねた瞬間―――煙と小さな爆発音が視界に響いた。

(―――ッ!?)

驚きから閉じた視界がゆっくり開いた瞬間――俺の視界に入ったのは女性の姿。
髪型は火村ユコトと変わらないけども、おしとやかな顔と着物を着る彼女の姿に目を見開いた。


(―――この格好…)


遠い記憶の中で、俺の前に帰ってきた彼女が身に着けていた衣服と変わらないのだ。


「―――この姿では初めましてですかね…。私はシズネと申します。

…エミは私の家族であり、忍びとしても優秀な弟子でした。」


華奢な彼女は――俺が知らない前の世界にいたエミの家族らしい。
柔らかく細められたシズネさんという彼女は俺を見上げ、微笑む。


「―――あの子が、…大切な人ができたと私に言ったとき、…少しだけ寂しくもあり、興味を抱いたんです。

…彼女が生きたいと願った世界を私は見てみたかった。」



前の世界の話を詳しくは聞いたことがない――。けれども、その世界は人を躊躇なく殺すことができ、それでも里と呼ばれた街を守っていたということを彼女から聞いた話がある。


「―――ねえ、北村ユウさん。」
「……はい。」
「―ーあの子は、強いようで酷く脆くて弱い子です。…それでも、私にとって大切な弟子で、家族だった。…私がいないこの世界であの子を…エミを守ってくれますか。」


俺を見つめたその瞳に浮かぶ彼女の感情は確かに姿がない彼女へと向けられていて。
愛情というその無償の愛おしさ――。
静かに唇を噛みしめた俺は、頷いた。


「―――ああ。…約束する。」
「―――なら、安心です。貴方なら、大丈夫」

雨が止んだ空でかかる虹の橋に、
目を細めた彼女の笑みが視界に入った。


―――空間移動の術。


声を発し、手を不思議な形に変えたシズネさんの足元から零れた不思議な光とその感覚に肌を走る冷たい何か。
昼間の図書隊の屋上で、静かな風を巻き起こしていたシズネさんという彼女の姿が飲み込まれた瞬間――俺の視界に入ったのは柔らかな光だった。







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