君はトランキライザー

□プロローグ
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きっと、人の理性を簡単に消してしまうのは、多忙だと思う。

「―――疲れた。」

病院の中で走り回っていた夜勤後の己の身体にとって朝日とは酷く煩わしいものだ。
現に、眼を刺激するその光に顔を顰めつつ、電車に乗り込んだ私は、開いている席へ腰を下ろした。

看護師として働いて四年。慣れてくる仕事の量も年数を上げることにより、責任や重さもレベルアップをしてくる今日この頃。日々、緊張を抱きながらもそんな自分の仕事環境に満足していた私は長く働いた疲労から襲いかかる眠気に小さく欠伸を溢した。

「――眠……い」

家から電車の距離は大体二十分だ。まだ時間があると、考えを頭から打ち消した私は仮眠を取ろうと瞼を閉じる。通勤ラッシュも終わったこの時間帯に移動する人の波を感じていた私は、眠りへと意識を転ばせた。







眠ってから、どれほどの時間が経ったのだろうか。ゆっくりと瞼を開けた私は、止まったままの電車に眼を見開いた。

―――やってしまった。

人も誰もいない電車に残された自分に当てはまるものと言ったら、一つだけだ。

「―――乗り過ごしちゃった……」

慌てて手元のバックを掴んだ私は、飛び出すように開いたままの入口へと歩みを進める。ふ、と。異変に気付いた私は眉根を寄せたまま、口を閉ざした。

出口へ向かうはずの扉の奥にあるのは一面草原が広がる場所。
見覚えのないその場所を視界に入れながら、立ち止った私は今起こっている状況に首を傾げた。

「――可笑しい…」

だって自分が住んでいるのは、ある意味都会に近い場所だ。そんな土地にこんな風な草原が広がっているなんて、覚えがないし、記憶もない。
どういうことなんだと、首を捻った私は耳元に届いた声に眼を丸めた。

「――早くこっちに来ないの?」

お姉さん。

視線を前方に向けた先にいるのは、可愛らしいピンクのフリルを着る幼女の姿。
へ、と眼を見開いた私は緩やかなパーマをかける金髪の少女が柔らかく笑うのを視界に捉えた。
どうしてこんなところに超絶美人がいるんだとか、何故小さいこどもが置き去りにされているのかとか、そんな疑問が浮かぶ前に溢された少女の言葉に思考が停止するのを感じた。

「――ようこそ、瀧山エミさん。『狭間の世界』へ」

神様でーす♪そう陽気に笑った少女の笑顔に、驚きから瞬きを繰り返した私は呼び込む少女の誘いにのるかのように歩みを進める。確かにブーツの裏に感じた地面の感覚は私が生きているというもので。ふと見上げた頭上は透き通る青空だけ。

「――えっと、これはどういう…」
「――良いから、お茶しない?行くまで、まだ時間があるんだし。」

にこっり。有無を言わせぬその笑みに渋々頷いた私は、彼女の背後で用意されている紅茶とお菓子の数々に、腹の虫がぐうと鳴り響くのを感じた。
―――現金な女だと思う。

「――お言葉に甘えて……」

夜勤明けの甘いものを欲する己の欲求に従うのなら、食べるしかないではないか。
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