雨のお品書き
□紅色花恋抄
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第四夜
【恋花火 結】
雪との一会の出会い、月との静かな語らい。
花は全てを見つめつつ、はらりはらりと散っていく。
残されたのは、蕾か枝か。
ちりばめられた、紅ぞ知る。
今宵は、月の名を持つ座敷に、たどたどしくも心惹かれる琴の音が響いた。
聴き入る少年は、心地良さそうに目を閉じている。
さながら夢心地。
自分の為だけに奏でられる音色は、優しく、暖かい。
「すごいね、バジルは。教わったばかりで、そんなに弾けるんだ」
一生懸命練習をした。
たった一人、あなたの為だけに弾きたくて。
そんな思いを、ただ笑顔で表わした。
琴の音に紛れて、廊下には衣擦れの音。
微かなそれに反応するのは、至難の技。
誰にも気付かれないうちに、音の主は【花幻】に入ってしまう。
とはいえ、咎められることもないだろう。
自分の部屋に入って何が悪い。
そう、雲雀も訴えるに違いない。
何をするでもなく、ただこの座敷にいるのが雲雀は好きだった。
嫌でも彼を思い出さなくてはいけないけれど、それが苦にはならなかった。
思い出だけなら、幸せに浸れる。
「だって、貴方は会いに来てくれない。僕の言葉に従うふりをしているけど、本当に想ってくれているなら、来てくれる」
別に、気持ちを量ろうとしていたわけではない。
突き放したのは自分なのに、手を放されたら悲しくなるなんて、いつの間にこんなに弱い人間になってしまったのだろうかと、さらに自己嫌悪。
別れの言葉は、想像以上に雲雀自身に突き刺さっていた。
「貴方のせいで、弱くなった」
でも、強くもなった。
そして、美しくなった。
何気なく腹部に手が触れるのは、最近の癖。
今となっては、最後の繋がりで、未来に残る唯一の名残。
来るなと言って、遠ざけた。
辞めると言って、部屋に篭った。
それでも、夜ごと【花幻】に来るのは、やはり待っているからだ。
来たら、自分が拒みきれないことにも、気付いている。
この噛み合わない感情とどう向き合えばいいのか、雲雀にもまだ答えを出すことが出来なかった。
「……僕らしくないことは、百も承知。この街を離れるなんていう選択も、本当ならありえない。でも、そうしなければ…守れないから」
闇に呟かれたその想いを、誰も知ることはない。
ただ夜の静寂だけが、雲雀を抱きしめる。
そうして夜は更けていく。