雨のお品書き

□紅色花恋抄
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幕間
【夜明け前】

「失礼いたします」

一階奥に設えられた、見世の店主の部屋。
店主がここに寝泊まりをすることはほとんどないが、店主のためにと、設計、設営から調度品の選択など、細部に至まで心配りがなされていた。

重厚感のあるその扉を、雲雀の白く繊細な指が開けた。


「ちゃおっす、雲雀」
「よぉ、久しぶりだなぁ、雲雀ちゃん」

店主に喚ばれていると聞いていたのだが、来てみれば来客中。

「赤ん坊に…やぶ医者じゃないか」

「んなっ!」


大好きな赤ん坊と、堂々と誤診をした医者。
表情も声も、向けるものが違うのは当然だろう。


しかしながら、いたく自尊心を傷つけられたらしい、やぶ医者ことシャマルは雲雀に絡みだす。


「おいおい、雲雀ちゃあん?そりゃあちょっとないんじゃないの?」
「間違ってないと思うけど?」
「ありゃあおまえさんを思って吐いた嘘だぜ」


言うとシャマルはリボーンと店主を仰ぎ見た。

面白そうに笑っている二人に、雲雀が面食らう。


「どういうこと?」


自分の為だなんて、あんな性質の悪い冗談のどこが、と思う。

無駄に深刻になったし、ディーノに会えない時間が長かった。

下手をすれば、今頃破局していたかもしれない。


「おまえが自由になれるようにしてやったんじゃねーか」

しれっと言ったリボーンは、あとの二人へ同意を求める。
すると、当然というように二人も頷く。

「あの時のおまえさんは、精神的に随分参ってたはずだ。症状としては、過度のストレスによる月経不順だな」
「すとれすってなに?」
「あ?そうだな…精神的圧迫…か?」

日本語は難しいと、シャマルは詳しい説明を丸投げした。

「ディーノに出会ってからおまえは、生まれて初めて知る感情や、見世での勤めとか、色んなことに悩んでただろう?口にもせずに溜めこんじまって苦しんじまう。それがストレスだ」

リボーンが、まるで雲雀の心の内を全て知っていたかのような口ぶりで説明をした。

「でだ、それをさらに溜めることで、月のものが止まることもある」
「そうなんだ。博学だね、赤ん坊」

シャマルがいえば胡散臭さを覚えただろうが、リボーンが言えば知識となる。
にっこりと微笑み、リボーンの頭を撫でた。


「でも、なんで嘘を吐いたのかの理由にはならないよ」


終わりよければ全てよし

そんな言葉は、雲雀には通用しない。

リボーンが仕方なさそうに答えようとしたその時、今まで黙っていた店主が口を開いた。

至極、優しい声で。

「素直じゃない雲雀でも、進退窮まれば答えを出すと思ってね」

身篭ったと知ってどう思うのか、それを相手に伝えるのか。
そして、見世を辞めるのか。


期待通り、雲雀は答を出してきた。


最後には全ての本音まで伝えられるほどに、効果はあったのだろう。


「そして、私は怒っているんだよ」

説得力のない、優しい笑顔。
娘たちの身体を売るような商売をしている男とは思えないくらいに。


「どうして、誰にも相談しなかったんだい?」
「…だって、僕自身の問題だから」
「雲雀にとって、この見世はどんな場所だい?」
「街一の花見世」


当然だと言わんばかりの雲雀に、後の三人は苦笑い。
それに気分を害した彼女は、面白くなさそうに目を吊り上げた。

「この前、綱吉が客を帰すときに言った言葉を覚えているかい?」


あれだけ印象的な出来事だし、忘れようもない。落葉なら一言一句違わず覚えているだろう。


「あれを聞いて、どう思った?」
「…あの子、見世のことよく知ってると思ったよ。短い間で、頼もしくなったんじゃない?」
「そう、綱吉はよく理解している。見世に通い、自然と知っていった。そして、それを伝えたのは落葉。それができるあの娘は、いい娼妓だ」


あさり屋で認められる為に必要なことは、どれだけ稼げるかだけではない。

この店主は、一人一人をよく見ている。

客がとれない娼であれ、落葉はもっと大切なことを頭ではなく、心で理解している。

誰に教わったわけでなく、自身で感じたのだろう。


「つまり、そんな彼女の上に立つ雲雀ならわかってるはずだよ」


言葉にするのは、少し恥ずかしい。

でも、それ以上に見合う言葉は見つからない。


「…家族」


幼い自分を見世に売った両親を家族と思ったことはない。

でも、この見世では、きちんと温もりを与えてもらった。


「家族になら、悩みを相談していいんだよ」


本当はわかっていた。
他の娘たちが自分に相談しにこなければ、雲雀は怒るはずだから。

何故自分に言わなかったのか、と。


「雲雀は可愛い娘の一人なんだ。幸せになって欲しいと、心から願ってる」


今まで言えなかった言葉が、喉の奥までやってきた。

「彼と幸せになりなさい」


思いは溢れ、涙と声へと形を変える。


「……ありがとう、お父様」


思いは留まるところを知らず、流れ流れて溜まりゆく。



気高い牡丹の花一輪、伝う雫をその身に受けて、今一度夜明け前に咲き誇る。



さあ、陽が昇る。

夜の花はまどろんで、蕾のままに夜を待つ。



今宵も一際美しい花を咲かせる為に…。
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