novel

□優しい恋のうた
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彼は私のことをきっと知らない。
私は彼のことを知っている。


彼は学校で一番の人気者だと思う。
剣道で全国を制し、勉強だってできる。
無口で無表情で無愛想だけど、誠実で真面目で律儀な人で、さりげない優しさをクラスの人は皆知っていた。
みんなが嫌がることも嫌がらずに引き受けて。
少し不器用なひと。
彼を好きな女の子はたくさんいた。

『すまない。』

彼に告白した女の子は皆、この一言で断られている。
どんなに食い下がっても、彼はそれ以上もそれ以下も口にしない。
ただ、すまない、とだけ。
好きな人がいるわけではないらしい。彼は恋愛感情を知らないのでは、と言うのが皆の解釈。
フェルトはそんな噂話を耳に入れながら、今日も刹那を見つめていた。
無言実行する刹那は今日もケロリとした顔でクラスの注目を集めている。

「……」

フェルトは男が苦手だ。
兄の親友であるラッセはとても男くさい人で、彼自身はぶっきらぼうながらも優しい人だと知っている。けれど竦み上がってしまう。
彼女が普通に接し話せるのは穏和で優しい兄だけだ。
だから、そんな自分が恋をするなんて思いにもよらなかった。
しかも大好きな兄のような人ではなく、無口無表情な刹那に。
きっかけなど忘れた。いつの間にか好きになってた。
自覚したのは、兄が『フェルトはソイツのこと好きなんだな』て微笑ましげに言ってくれたから。
好きになった瞬間は忘れてしまったけれど、たった一度会話した時のことは覚えている。

担任教師との二者面談。先生の都合で先生の担当教科の時間に行われていた。
面談を終えたフェルトは教室に戻り、次の人を先生のいる部屋に呼ばねばならない。
その次の人、とはクラスでもやんちゃな男子で中でもフェルトが一番苦手とするタイプだった。話したことはない。
自習でわいわいと夢中で喋る男子グループにいる彼に声をかけるのに緊張、かなりの勇気がいる。
早くしなければ…先生が待っている。
だが、緊張した小さなフェルトの声は喧騒に消されてしまう。

「おい、パトリック」
「あん?」
「面談だ。」

グループの隣の席で読書をしていた刹那が静かに呼びかけ短く告げた。
フェルトに気づいたパトリックは理解してひょいと席を立ち、仲間に行ってくるわと告げて出ていった。
グループはまた話に夢中になり刹那はもう本に視線を戻している。

「あ、ありがとう」

聞こえたかわからない、小さな声でフェルトは吃りながら礼を述べる。

「いや。」

短い返答だったが、それは確かにフェルトに向けた言葉だった。

そんな小さな出来事。鮮明な記憶。大切な想いだ。
会話と呼ぶにはおこがましいかもしれない些細なこと。
刹那と言葉を交わしたのは、それだけ。
フェルトは小さくて仄かな恋心を大切に暖めていた。
告白なんてできない。話しかけることもできない、そんな勇気の持てない自分には…見ているだけで十分なのだ。
彼が当たり前だと思う事で一喜一憂する自分。
兄は青春だねぇなんて笑ってる。

「フェルトー!すまん、俺の部屋にある紙袋持ってきてくれないか?」

夕方帰宅すると、バイト中の兄から忘れ物を届けてくれと頼まれた。
電話口で焦った兄の声にフェルトは直ぐに行くと告げる。
制服のまま、白い紙袋を手に兄の働く喫茶店へと急ぐ。
学区外で少し遠い場所にあるこ洒落た喫茶店に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」

聞こえてきた声にフェルトは固まった。
声の主を見ると、そこにいたのはやはり想い描いた人物――刹那だ。
ギシリと固まる。

「……?」
「あ、あの、」

口が回らない。刹那は挙動不審な客に首を傾げている。
早く、何かを言わなければ。
何かを…此処で働いてたんだ。とか、でも彼は覚えているだろうか?
自分を…たかだか一度話しただけのクラスメイトのひとりを。

「フェルト!来たか…って何固まってんだよお前ら」
「…ニール」
「お兄ちゃん」

奥から出てきた兄にフェルトはほっと息を吐いた。
刹那はフェルトを驚いたように見つめる。

「お兄ちゃん…?」
「俺の妹。可愛いだろ〜。」
「うちの学校の制服?」
「刹那おまえなぁクラスメイトだろ」

兄は確信犯だ。絶対に、分かっててやっている。
フェルトの恋の相手が刹那だと、勘の鋭い兄は気づいてるに決まってる。
でなければ、今、イタズラが成功した子どものような笑みを浮かべている訳がない。
動揺と羞恥と、そしてやっぱり覚えていて貰えていなかったと、悲しさと痛みが胸に突き刺さる。

「だからか、見覚えがある。」
「その程度かよ」
「今ちゃんと覚えた。フェルト」

初めて呼ばれた名前に胸が高鳴る。
そして少しでも覚えていてくれたことに歓喜が身体を巡った。
ニールの妹としてでもいい、覚えてもらえた。
人にあまり関心のない刹那に。

「また明日、学校で」

ギリギリそう言えたフェルトに、刹那はこくりと応えた。
それにすらくらくらする。
こんなこと毎日あったら心臓がもたない。
でも嬉しい。

「また明日」


ああ、見ているだけで十分に幸せだったのに。
こんなに嬉しくて幸せで、どうにかなってしまいそう。







前置きが長…。
ニールはキューピッド。くっついちまえよとか思ってます。




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