薄桜鬼

□雲掛かる杜若
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音を立てないように襖を開けると、有処はまだ起きていて、千鶴を見てにこりと笑った。


「おかえりなさい、千鶴ちゃん」
「ただいま、有処ちゃん。寝ててよかったのに」
「んー、なんとなく、目が冴えちゃって。それより千鶴ちゃん、」


向かい合って座った千鶴の顔を、有処がじっと覗き込む。
心配そうに眉を寄せて、首を少し傾けた。


「何か、あんまりよくないこと言われた?」
「えっ……」
「無理に聞き出そうと思ってるわけじゃないの。ただちょっと、暗い顔をしてるから……」


表情は、取り繕ってるつもりだったのに、な。
有処ちゃんには、敵わない。

そう思ったけれど、話の中身を言うわけにはいかないのだ。
千鶴は大丈夫だよと、小さく笑って口を噤んだ。


「……よくわからないけど、ほら、元気出して!千鶴ちゃんはね、考えすぎるのよ。心配性なのね。もっと力抜いて、周りに頼っていいんだよ」
「……そうかなあ」
「そうそう。私なんかいっつも色んな人に甘えちゃってるし。流石に自重しなきゃって思うんだけど」
「……有処ちゃんは……もう、」
「うん?」
「な、なんでもない!すっかり遅くなっちゃったね、もう寝ようか」
「……千鶴ちゃん」
「お布団敷いてくれてありがとうね」
「……ごめんね、いっぱい気を遣わせて」
「そんなこと……!」


立ち上がりかけた千鶴に、有処は小さく微笑みかける。
千鶴はその場に座りなおして、続く有処の言葉を待った。


「もう、大丈夫だよ。……なんていうんだろ、整理がついたわけでも、もう悲しくないわけでもないけど、……ちょっとは、前を向けたから」
「……ほんと、に?」
「……私ね、千鶴ちゃん。一回も、ついていきたいって言わなかったの。行かないでとも言わなかったし、平助さんに、ついてこいって言わせなかった。あの時、きっとそう言おうとしてたのに。……たくさん、傷つけたと、思う。彼、いっぱい悩む上に、決めた後も結構後悔するんだよ。ふたりでお茶屋さん入ってもね、団子と饅頭で悩んだ挙句、どっちを頼んだって、やっぱり違うほうにすればよかったかなって、いつも言うの。笑っちゃうよね」
「……そういえば、そうかも……」
「そうでしょう?……でもね、結局頼んだものを受け取ったら、うまいなあって笑うのよ。悩んでたことなんかなかったみたいに。だからきっと、今回も。散々悩んで、決めたんだから。今はどこかで後悔してるかもしれないけど、いつか自分の選んだ道を、胸を張って誇るんだわ。なのに、格好つけて背中を押したつもりの私が、いつまでも後悔して泣いてるだなんてあんまりよ。情けないわ。だから、私も前を向く。きっといつか私だって、笑って振り返られるはず。……そう、思えるようにはなったんだよ。ありがとう千鶴ちゃん。いっぱいいっぱい気遣ってくれて。ごめんね、たくさん心配させて。もう、きっと大丈夫。ほんとに、……ありがとう」
「……有処ちゃんは、……つよいね」
「そうかなあ。けっこうずるずる引き摺ってると思うよ。でも、それだけ好きだったって……ううん、だいすきだって、ことだから。首が絞まらないくらいなら、ひきずってもいいかなーって。あはは。とりあえず、笑えるようになったから、大丈夫なんだと思う」


そう言って笑う有処の顔は、以前よりも美しく見えた。
これから彼女が、平助のことを忘れられるかはわからないけれど。
それでも前を向けた強さは、彼女をより綺麗に見せる。

身を引いてなお、前を向ける彼女。
何を失くしても、目的を見失わないで。


……だけど、私は。

千鶴は有処の眼差しから、逃れるように俯いた。

私は結局自分の身勝手で、ここに残ることを選んだのだ。


「……私、有処ちゃんみたいになりたい」
「私?それはどうだろう。やめた方がいいと思うな。自分に嘘はついちゃだめ。言ったでしょう?ずっと後悔する。自分のことを、赦せなくなるよ」
「あ……ご、ごめんなさい」
「謝ることないよ、千鶴ちゃん。ほら笑って。私、千鶴ちゃんの笑った顔大好き」
「私も、有処ちゃんが笑ってるの好きだよ。嬉しくなる」
「……ありがとう」


火を消して、寝具にもぐりこむ。

すっかり遅い時刻になってしまった。
だけど重かった胸は少し軽くなって、なんだかいい夢が見られそうな気がした。


有処ちゃんと、お友達になれてよかったな。
言えないことはたくさんあるけれど、でも、とても話しやすくて、なんでも相談できる人だ。

私はひとりっこだけど、お姉ちゃんがいたらきっと、こんな感じ……なんだろうな。



そして目を瞑ったとき、外から怒号と悲鳴が聞こえてきた。


「な……なんだろう」
「外で何か、あったのかな?」


ふたりが顔を見合わせた時、廊下から人の声がした。

緊迫した鋭い声。
飛び起きて、襖を開けた。

そこにいたのは島田で、何があったのか尋ねると、彼は固い声で千鶴に告げた。





――鬼たちが、屯所を襲撃してきました。




「……お、に?おにって……鬼?」
「っ島田さん……っ!」
「!あ、……っ」











……知られたく、なかったのに。



これでもう、おしまいだ。








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