薄桜鬼

□雲掛かる杜若
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就寝前、ふたりはその日の出来事を、からからと笑いながら話していた。

土方の発句集がまたなくなったとか、それが総司の枕下から出てきたとか。
永倉が文を貰って喜んでいたけど、本当は原田宛てだったらしいとか。


そして、一瞬会話が途切れた時、千鶴が何か言いたそうに有処を見る。
何だろうと思いつつ、有処は彼女の言葉を促した。




雲掛かる杜若




「どうかした?千鶴ちゃん」
「あの、ね、有処ちゃん、最近うなされてるの。夢見でも、悪いのかなって……」
「私が?うなされてる?」


思ってもみない告白に、有処は目を瞬かせる。
千鶴は慌てて、ぶんぶんと首を振って否定した。


「うなされてるってほどでもないよ!でもここ数日、ずっとだし。起こしたほうがいいかなって思っても、すぐ普通に戻っちゃうから、いつも起こさないままなんだけど……。変な夢でも見てるのかなぁって。起こしたほうがいい?」
「ゆめ……?」


最近、夢を見た覚えはないよ。

そう言おうとして、口を噤んだ。



「おいて行くぞ」

「やだぁ!まってよーっ」






「……だ、れ……?」


言葉だけは冷たいのに、優しく手をさしだす誰か。

逆光で顔が見えない。




「……有処ちゃん?」
「……っううん、なんでもない。なんだろう、ね。ごめんね千鶴ちゃん、いつもうるさかった?」
「そんなことないよ。起きてる時に、あれ?って思っただけだから」
「ありがとう。でも今度うるさかったら、たたき起こしていいから!」
「えー。それでいい夢邪魔しちゃったらどうしよう?」
「あーそれはやだー」


あはは、と笑って、布団を敷こうと立ち上がる。
千鶴が畳の上のものを片付けだした時、襖の向こうから、この時間には珍しい声がした。


「おい、今いいか?」
「「え?」」
「千鶴、お前に客だ。ちょっと広間まで来い。有処、悪いが茶をいれて来てくれるか」
「わかりました」


こんな時間に、お客さん?

土方の声に、ふたりは目配せをして首を傾げた。
もういい加減、夜も遅いのに。

大体、千鶴に用がある人とは誰だろう。
今まで千鶴を訪ねてきた人などいなかった。

内心で疑問符を飛ばしながら、ふたりは揃って部屋を出た。



***



「お茶を九人分って、どういうこと……?」


そんなに大勢のお客さんがいらしてるんだろうか。
こんな夜中に……?
…………まあ、別にいいけど……。

溢さないように気を付けながら、さっさと歩く。
広間に近付くと、千鶴とは別の、若い女性の声がした。


「千鶴ちゃん久しぶり!元気にしていた?会えて本当に嬉しいわ!」
「お千ちゃん?!どうして、ここに……?」


どうやら千鶴にとっても、訪問者は予想外の人物であるようだ。
邪魔してもいけないし、さっさとお茶をお出しして退出しよう。



失礼いたします、と断ってから襖を開ける。

順に茶を配り終えて、退出しようとしたその時。
千鶴と話していた女性が、自分のことを凝視しているのに気が付いた。

見開かれた大きな目と、薄く開いた桜色の唇。
綺麗な女性だな、と有処は思った。

でも何故、そんなに見られているのかわからない。
どこかで会ったことがあるのだろうか?


そういえば、前にも似たようなことがあった。
あれは、初めて薫と出会った日だ。
あの時の彼女も、この人みたいに目を瞠って、じっと有処を見つめていた。


女の人の唇が動いて、震える吐息がこぼれ落ちた。


「ちとせ、さん……?」
「え?」
「どうして、あなたがここに……?だって、千尋さんと……」
「……ええと……どなたかとお間違えでは?私の名前は千歳ではなく、有処と申します」
「……有処、さん……」


名前を告げても、彼女は視線を逸らさなかった。
何とも言えない雰囲気に怯んで、有処は視線をさ迷わせる。

客が大勢いるのではなく、幹部が一堂に会していることに驚いた。
そしてその場にいる全員が、怪訝そうに自分を見ている。


心細く、なって。
つい、心中で彼の名前を呼んでいた。
何があっても、自分の味方をしてくれる人。


「……で、姉ちゃん、用っていうのはなんなんだ?有処にも関係あるのか?」
「あ……。……いいえ、何でも……ないわ」


誰も何も言わない中、原田の言葉で変な緊張感が霧散した。
有処はほっと息を吐いて後ろに下がる。

後で左之助さんにお礼を言わなきゃ。


この場から離れたかった。

これから話されることを聞きたくないと、何故かそう思ったのだ。


「では、私はこれで」


そそくさとその場を後にする。

部屋から出ても、襖越しに、彼女に見られているような感じがした。



***


「えっと……それでお千ちゃん、ここには何の用事で来たの?」
「っああ、そうだった!いけないわ、私としたことが」


有処がいなくなった後、改めて千鶴が尋ねると、お千はこほんと咳払いをして、千鶴にきっぱり用件を告げた。


「私ね、あなたを迎えに来たの」
「……迎え……?なんで、……どういうこと?」
「そうよね。ちゃんと説明しなきゃ、わからないわよね」


そういって彼女から話されたのは、この国に昔から存在するという、“鬼”という名の種族のこと。



西国の風間家。

頭領は、新選組と何度となく戦った、――風間千景。


そして東国で最も有力な鬼の姓は。



「雪村家なのよ、千鶴ちゃん」
「……え……?」



突然出てきた自分の姓に、千鶴は驚いて息を呑む。

お千――京の鬼である千姫は、千鶴を見据えて言いつのった。


「雪村家は、自分たちの力を争いの道具として使われることを拒み、そのことで人間に襲われ……滅んだと、聞いています。ですが千鶴ちゃんは、その生き残りではないか。私はそう考えています」


そして風間の狙いは、純血の女鬼。
より強い鬼の血を残すために、あなたのことを狙っているのよ――。



千鶴は、自分は鬼じゃないと……否定することが、出来なかった。

昔からおかしいと思っていた。
すぐに怪我が治る体。病気という病気に、罹ったことのない健康な体。
疲労だって、目に見える形で表れたことなどない。

自分は人間じゃないから。
“鬼”という種族だから――。

不自然に思っていたことすべてが、その言葉で片付いてしまうのだ。



そして。


千鶴は千姫から視線を外して俯いた。

千姫も気付いてしまっただろうか。
さっき、彼女は千鶴から、強い鬼の力を感じると言ったから。

そう、自分が鬼だというのなら……。
――有処だって、そうなのだ。


風間が探している、“有処”という名前の女性。
同名の別人かもしれないと、騙し騙しここまで来た。

だけど、もう。
決定的にわかってしまった。
彼女自身は、鬼の存在さえ知らないのに。


「今のところ、風間たちは本気で仕掛けてきていないようですが、遊びがいつまで続くかはわかりません。そうなったとき、あなたたちが千鶴ちゃんを守りきれるとは思わない。ですから、私たちに任せてください。私たちなら、千鶴ちゃんを守れる可能性も高まります」


鬼の力の前では新選組など無力だと、そう断じる千姫に対して、怒りの声があちこちから上がる。

俺たちだって千鶴を守るくらいの力はあると、そう言ってくれる面々に、千鶴は狙われているという状況の中、少し嬉しくなってしまう自分を感じた。

だけどそれ以上に……心、苦しくて。


元々新選組で何が出来るというわけでもないのに、こんな厄介ごとにまで巻き込んでしまっている。

自分が鬼で、風間たちや千姫も鬼だというのなら……、人間である新選組は、何の関係もないはずなのに。




言葉に詰まっていると、局長である近藤の提案で、千鶴は千姫とふたりきりで話し合うことになった。

他の面々が異論を唱える中、近藤は生来の人柄で、皆の不満をおさめていく。


そうして千鶴と千姫は部屋を移し、ふたりきりで話し合うのだった。





「急にいろんなことを言われて、頭の中が混乱したでしょう?……ごめんね」
「ううん。大丈夫。……本当は、薄々わかっていたから。……あのね、お千ちゃん」
「うん。……有処さんのこと、ね」
「……やっぱり、」


暗い顔をする千鶴に向かって、千姫は真剣な面持ちで頷いた。


「彼女からも、強い鬼の力を感じたわ。それに彼女、千歳さんに……、私の知っている鬼の女性にそっくりだもの。私てっきり本人かと思ったくらいよ。きっと、千歳さんのお子さんなんだわ。それにしても……彼女、有処さんってもしかして、自分が鬼だって知らないの?」
「……うん。鬼の存在も知らないよ。お千ちゃん、お願い。鬼のこと、有処ちゃんには言わないで。これ以上、彼女を混乱させたくないの。有処ちゃん色々辛い目にあってきて……やっと、立ち直ってきたところなのに」
「……そう……わかった。でも、千鶴ちゃんは、あなたはどうするの?私たちと一緒に、来てくれる?」


そう言われて、千鶴は答えられなかった。

自分がここに残れば、風間たちはそのうちにここを襲うだろう。
そうしたら、有処の存在がばれてしまう危険だって増えるのだ。


だけど……だけど。

離れたくない人がいる。傍にいたい人がいる。


わかってる。片想いだってこと。
自分のこの身勝手な想いの所為で、大事な人たちを危険に晒してしまうかもしれないこと。

でも、有処は言ったのだ。

見ているこっちが泣いてしまいそうな、儚い微笑をその顔に浮かべて。




「この人だって想ったら、離しちゃだめよ、千鶴ちゃん。後でいっぱい、悲しくなるわ」



「ごめん、お千ちゃん。……私……」
「……千鶴ちゃんもしかして、心に想う人がいるの?」
「……うん」
「そっか……。……しょうがないわね。今日のところは引き下がるわ。でもね、やっぱり危ないなって思ったら、私たちといきましょう?」
「……!ありがとう、お千ちゃん……!」



そして千姫は、新選組の面々に、千鶴を頼むと言い残して帰っていった。



千鶴は有処の待つ部屋へと戻っていく。
ここに残ると言ったことに、罪悪感を抱きながら。
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