薄桜鬼 2
□惑いこがれて春茜
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「お、平助巡察終わったのか。有処?さっき調理場で洗い物してたのは見たぜ」
「ああ、おかえり藤堂くん。有処さんかい?少し前に洗濯をしに行ったようだよ」
「平助くんどうかしたの?ああ、有処ちゃんか。さっきまであの辺を箒で掃いてたみたいだけど」
屯所中を行ったり来たり。
巡察を終わらせて帰ってきたのに、有処には中々逢えない。特に今日は、不思議なくらいに噛み合わない。
避けられてんのかと邪推したくなるくらいだ。全く、忙しないにも程があるよ。
だけど有処曰く、忙しいほうがいいらしい。確かにここに……新選組の屯所にくる前は、毎日もっと忙しかったと思う。
左之さんとこから源さんのとこへ。
源さんのとこから総司のとこへ。
四人目は山崎くんだった。右に左に視線を走らせて、有処の姿がないことを確認する。
やっぱり、いない。がっかりするのと同時にちょっとほっとした。
山崎くんはよくあいつと茶を飲んでるから、俺としては複雑なわけだ。
有処がなんとも思ってなくたって、山崎くんはどうかわかんねえし。
勿論俺がそんな風に思ってるなんて知らない山崎くんは、きょろきょろと落ち着きのない俺を怪訝そうに見る。
「藤堂さん、お疲れ様です」
「おう!ところでさ山崎くん、有処どこにいるか知らないか?」
「有処さんですか?先ほど調理場に向かわれるのを見ましたよ」
「調理場?そっか、ありがとな」
「いえ」
夕飯の支度には、流石に早すぎる気がするけど。
それとも仕事に区切りをつけて、少しぶりに菓子でも作ってんのかも。
最近彼女は作った菓子で行商をしようと、土方さんたちに打診しているらしい。
よくそんなことを思いつくなと感心する。店を構えていた頃の伝手を使えば、無謀なことでもないようだ。
認めてくれるといいなと、心から思う。ただ、たとえ近藤さんや土方さんから許可が下りても、毎日一定数作れるわけでもないし、問題は山積みだ。
そして俺にしてやれることは殆どない。だけど、探してやりたいと強く思う。
一緒に頭を下げるとか、そんなことしかできなくても、俺にできる何かで、彼女を支えてやりたかった。
何だか無性に逢いたくなって、早足で廊下を歩いていたら、調理場から二人分の声がした。
馴染み深い男女の声。これって、有処と……土方、さん?
「そんなに違うんですか?!」
「俺だって初めて見た時は驚いたさ。……ま、確かにこっちの方が、名前に合っちゃいるんだろうが」
「――すごい。なんだかこういうのって……どきどき、しますね!」
「しねえよ。まったくお前は、本当に意味のわからない奴だな……」
「意味わからなくてもなんでもいいので、もっと教えてください!他には?後はっ?」
「お前俺の休憩時間を何だと思ってやがる。……ま、しょうがねぇな」
……なんかすっげー楽しそうなんだけど。
しょうがないとか言ってる割りに、声がしょうがないって感じじゃないし。
有処も有処で、はしゃいでるのがよくわかる。あの二人って、そんなに仲良かったっけ?いつの間に?確かに土方さんは句を詠んだりするし、話が合いそうだよなとは思ってたけどさ。
何で俺入り辛いとか思って、立ち聞きなんかしてるんだ?
さっきは山崎くんに、今は土方さんに、つまらない気持ちを抱いてる。
ただ話しているだけだ。新選組は男所帯なんだし、そんなの当然のことなのに。
「小っちゃいなー俺……」
こんなことで苛々して、拗ねちまう自分が情けない。
帰ってきてからずっと有処を探してたけど、今あいつに会ったら心にもないことを言っちまいそうだ。
声ひとつで浮かぶ有処の顔。
その声色でどんな表情してるかだってわかるくらい、俺は有処と一緒にいた。
だからさ、わかってるよ。他意がないことも、単にきっと、菓子の話か何かで盛り上がってるんだろうってことも。
だけど、わかることと気持ちは追いつかないんだ。
「……部屋戻るか」
***
結局頭を冷やすのにその辺をほっつき歩いてから、俺はひとり静かに部屋に戻った。
高かった陽が蜜柑色に和らいで、空気が少し肌寒くなる。
ぼーっとしてると、廊下の軋む音がした。
人の気配は部屋の前で止まって、なんだろうと俺は顔を上げる。
「やっと逢えた」
「……有処」
逢いたかった人がそこにいた。
落日の逆光が眩しい。
目に沁みて、彼女の顔がよく見えない。
……だけど、笑ってるってわかるんだ。
声が言ってる。有処はいつだって、空気で俺に伝えてくれる。
だからそれだけで、胸の靄が潜んで行く。
「今、いいですか?」
「……ああ」
抱えていた御盆を置いて、有処はそっと隣に座った。
乗っているのは菓子だろう。乾燥避けにかけられた布で、生憎中身は見えないけど。
……土方さんと、話してたやつだろうな。
なくなったはずの薄暗い感情が、再び胸に湧き上がる。
駄目だ、俺。今日は有処と一緒にいる自信がない。
情けなさに目を合わせられなくて、俯いたままごめんと言おうとした時、先に有処が声を上げた。
「平助さん平助さん、遅くなっちゃったんですけどね、」
「……なんだよ」
頑なに顔を上げない俺をものともしないで、有処の声が明るく弾む。
控えめに覗き込んできた顔が、花のように綻んだ。
「おかえりなさい!」
――俺、何を拗ねてるんだろう。
暖かく細まる目。柔らかい眼差し。
馬鹿だよなぁ。有処はこうやって、笑顔で俺を労ってくれるのに。
有処が他の男と話してるのは嫌だけど、ちっとも面白くないけど。
でも、なんかもう、どうでもいいや。
「有処」
「はい」
「ただいま」
「はい!」
やっと、おかえりなさいって言えました。
そう言って有処は笑う。
おかえりという言葉が、じわりと体に染みわたる。
今日も無事に一日を過ごして、有処の待つ場所に帰ってきた。
ただそれだけのことが、どんなに尊いことだろう。
そのことを俺は知ってる。そして他の誰よりも、彼女が一番わかってる。
「平助さん、私ちょっとだけ、平助さんを驚かそうと思っただけなんです」
「?……何の話だよ」
少し拗ねた体を装って、わざとらしく口を結んでから、有処はふにゃりと顔を崩した。
「でもこれからは、平助さんに直接聞きますね。確約は難しいですけれど」
傍らの御盆を引き寄せて、有処は布を取り外す。
現れたのは、やわらかな桃色の餅菓子。久々に見る、懐かしい江戸の菓子。
「有処、これって……」
「江戸版桜餅、作ってみました!」
平助さん、お好きなんですよね?と、にっこり笑って首を傾げる姿に、ぎゅっと心臓を鷲掴まれる。
ああ、そっか。有処が土方さんに訊いてたことって、このことか。俺が江戸の桜餅が好きだって聞いて、わざわざ作ってくれたんだ。
妬いてたのが当たり前みたいに気付かれてるのは、格好つかないし、恥ずかしいし悔しいけど。
でも、そんなことで拗ねてるのが勿体ないくらい嬉しくて、おかしいくらい好きだって気持ちは溢れてきて。
「平助さん?……甘い物の気分じゃ、なかったですか?」
不安気に揺れる瞳が、いじらしくて。
「っな、嫌なわけねーじゃん!すげー、嬉しい……」
照れにまごつく俺の言葉でも、有処は安堵の息をついて、幸せそうに頬を緩める。
うわ、だから、そういう顔は駄目なんだって、くそ、顔あっつい。血が上る。
気持ちを伝えるのが下手くそな俺には、素直に伝えてくれる有処の一挙一動が心臓に悪い。
嫌とかじゃなくて、むしろ逆だけど、たまに不安になるんだよ。有処、お前が全身で伝えてくれるのと同じかそれ以上に、俺もお前を想ってるって、ちゃんとお前に伝わってるか?
有処、と小さく名前を呼ぶと、はい、と優しい声が返ってきた。
小さく動いた桃色の唇。艶美な形に、引き寄せられる。重ねると、柔くて、甘い気がした。
……。……重ねると?
「……っ」
「……わ、っ悪い、いきなり、――っ!!」
普通に、口付けて、しまった。馬鹿!節操なさすぎだろ!いや、誰でもいいとかじゃねえけど、したいのは有処だけだけど、初めてとかでもないけど、ああ、すげ、柔っこかった、もっかい――――じゃなくて!!!!
「あ、その、……いい、です、平助さんなら……」
「っ」
だから、そんな目元紅くして、嬉しそうに、はにかむのをやめてくれ!!
「お、れ!茶ぁいれてくる!!」
「……え、そんな。私がやりますから」
「いいから座ってろって、すぐ戻るしさ、な!」
「あ……」
引き留める言葉を聞かずに部屋を出た。駄目だってあれ以上はまずいって。
邪まな煩悩を振り切るように、速足でその場を離れるけど。
――ふれた感触が、とろんと溶けた目が、焼き付いて離れない。
ああもう、深呼吸だ深呼吸。落ち着け俺。はーー。おちつけ、れいせいになれー。
「平助」
「うわっ!?……なんだ土方さんか、おどかさないでくれよ」
調理場で湯を沸かしていると、呆れと苛立ちの混ざった声が投げられた。
やべえ俺何かしたっけ。覚えがない。だけど俺に覚えがなくても、新八っつあんが俺に何かなすりつけてる可能性もある。逃げたい。逃げ場なんかねえよ湯を沸してんだからさ!
やっぱり有処に頼めばよかった、と内心でびくついてる俺にかけられた言葉は、土方さんにしては珍しく、要領を得ないものだった。
「平助、ここは新選組の屯所だからな」
「……は?当たり前じゃん、土方さんってばどうしたんだよ」
「ほう。わかっているならいいんだがな」
なんだ?変な土方さん。
踵を返す土方さんを後目に、俺は火から湯を降ろした。何しに来たんだあの人。
そういや有処は、土方さんに江戸の桜餅のこと訊いたんだっけ。
ということは有処が何で訊いてきたのかもきっと知ってて。
俺が浮かれてる理由も、百面相してた理由も、……気付い、て、。
「……っうわああああっ」
ここは新選組の屯所だって?
うわ、あ、やましいことは、してなくも、ない、けど、そんな、わきまえ、て、〜〜〜〜っ。
惑いこがれて春茜
少し冷えてしまった茶を持っていったら、お帰りなさいと微笑む有処がいて。
もう一回口付けたいななんて考えちまって、頭を抱える俺がいるんだ。