薄桜鬼 2

□惜日白秋
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肌寒い朝が増えたなと、独りごちながら箒を取った。
近頃の通りには、少しばかり黄色く染まった落ち葉が目立つ。つまり、そろそろそういう季節なのだ。
さらり乾いた風に吹かれた葉っぱは、一日であちらこちらを埋め尽くす。気が付いた時にこうして片付けないと、はらはらと積もっていくばかり。
けれど未だ、思い出したように暑く晴れ渡る日もあって、時節が変わったと断じるには、どうも決め手に欠けていた。

なんて、そうは思いつつも、いい加減に認める時期かなあ。
門をくぐると、促すように少し冷えた風が通り抜ける。
白い風に乗って届いたのは、橙色の微かな芳香。

「!」

この匂い、何処からだろう?きょろきょろと辺りを見回して源を探す。
すぐに目当てのものは見つかった。今にも駆けて行きたいのをぐっと堪える。
仕事を放り出して行くわけにはいかない。ここがかつての私の家ならそうしたけれど、今の私の居場所はここだから。
朝から町を見回りに行く隊士さんたちを、少しでも気持ち良く送り出したいと思うから。
だから、見に行くのは後で、あとで。
彼を誘って二人で行こう。彼は了承してくれるだろうか。忙しいかな。でも屯所と目と鼻の先だから、ちょっとだけとお願いしたら大丈夫かな。
今日じゃなきゃ意味がない。だって、今日から秋なのだから。




「立秋は過ぎただろ」
「それはまあ、そうですね」
「中秋の名月も」
「今年はとっても綺麗でした」
「あー、酒が美味かったなー」

じゃなくてさー、と、ずれていく会話を平助さんは自分で元に戻す。

「有処は今日から秋だっていうわけ?」
「そうです」
「金木犀が咲いたから?」
「はい!」

ふーんとどうでも良さそうな声をもらすのを聞きながら、私は手を伸ばして橙の小花をもいだ。
宝物を抱えるみたいに手のひらで包み込んで、鼻に添える。
少しだけ息を吸い込むと、鼻腔を埋める甘い、匂い。

「匂いで鼻がバカになるんじゃねーの」
「贅沢ですよね。勿体無いけど」
「どっちだよ」

意味わかんねえ、と呆れた声が笑う。
ああ、その声好きなんだよな。
呆れてるのに、ちょっとバカにしてるのに、しょうがないなって優しくて、目の端が笑ってる。その声に、その顔に、私が弱いってわかってない。
とくとくとくと心臓が早くなる。誘って良かったな。一緒に見られて良かったな。ああでもすごく、苦しいなあ。

「有処?」

黙ってしまった私を不思議に思ったのか、訝しげな声が私を呼んだ。

「顔、」

なんか赤くねえ?
いけしゃあしゃあとした声をかき消すように、手の中の花々が舞った。

「ぶっ……お前何すんだよ!」
「……花吹雪?」
「は?……お返し!」
「わっ」

私が平助さんに降らせたよりずっと沢山の橙が、私の上に降り注ぐ。色濃くなる甘やかな芳香。形は小さく可愛らしいのに、くらくらする程の艶美な香。
地面に散らばった橙色の花々は、宵闇に咲く星みたいだ。

頭を振って、ついた花の感触を払う。
もう取れたかな。沢山千切ってしまってごめんね、金木犀。秋を届けてくれてありがとう。
艶やかな緑の木を見上げたら、平助さんの手が私の髪へと伸びてきた。長い髪から、小さな花を掬い上げる。
少し拗ねたような声色は、私が金木犀ばかり見ていたから、なのだろうか。

「まだついてる」
「そうですか?」

適当に、でもどこか優しく髪を梳く手が気持ちよくて、ちょっとだけ頭を傾けてみた。
固くて大きな手が一瞬だけ動きを止めて、そしてまたゆっくり髪を滑る。さっきよりちょっと、動きが柔らかくなった気がした。
平助さんはいっぱい花を降らせたから、まだもう少しこの優しい時間は続きそうで。でも、そんな風に思っても、実際はきっとすぐ終わってしまう。
……もっと沢山、降らせてくれれば良かったのにな。ずっとずっと、私に触れていてくれればいいのに。

「星、みたいだな」
「……え?」
「あ、いや!これだよこれ!金木犀!」

彼の指先に橙の星。
同じものを見て、同じことを考えていたことが嬉しい。口元が緩んでしまう。

今度こそ髪を梳く手が止まった。終わってしまったのか。残念に彼を見上げると、朱に染まった顔にかち合う。
――一挙一動に心を揺らすのは、何も私だけではないのだ。
胸に熱くこみ上げるのは、叫びたくなるほどむず痒くて擽ったくて、それでいて甘い気持ち。星に似た小さな花の、柔らかな香りのように。

「今日の夜は甘い星を食べながら、星見でもしませんか」
「甘い星?」
「星みたいなお菓子、買いに行きましょ?」
「……あ、ああ、そういうことか。――よし、じゃあ酒買いに行くぞー!」
「おー!……じゃないです!金平糖です!」

雲ひとつない秋晴れの昼。今日という日に闇が落ちても、空に輝きが見えますように。
穏やかで苦しい夜を思い浮かべて、早く月よ昇れと、願った。

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