薄桜鬼 2

□明日への恋文
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「有処、知ってる?」
「何を?」
「父さんと母さんね、有処が生まれる前はふたりで旅してたんだけど」
「またか。今度はなに?」


もう数えきれないほど聞かされた、父と母の惚気話。
若い時はふたりあちこち歩いてまわったという、想い出の話。

それでも聞くごとに違う話で、私はその度羨ましいなと思うのだ。


「この時期夕方、咲いてるじゃない」
「脈絡ないなぁもう。何の花が?」
「夕方って言ったらひとつでしょ。月見草!」
「あ、あの白い花?」


草地ではよく見かける白い花を浮かべれば、母さんは小馬鹿にするようにふふんと笑った。


「萎れた花びら、見たことあるでしょ?」
「え、うん」
「あの花、時間が経つと桃色に変わるのよ。有処、知らないでしょう」
「そうなの?」


言われてみれば、萎れた花びらはどれもこれも、白ではなくて濃い桃色だった気がする。
でも、それとふたりの旅の話と、一体何の関係があるのか。

自慢話をしたいだけの母を、生暖かい視線で促す。
母さんは少しだってめげないで、女の子な笑顔で口を開いた。

親のこんな顔って、恥ずかしくて、照れくさくて、ちょっと可愛い。
私も彼のことを言葉にするときって、こういう顔をしているのかな。


「どこだったかは忘れたんだけど――…………」


***


道の端に白い花を見つけて、私は足を止めていた。
隣を歩いていた男の人も、慣れた姿で立ち止まる。
呆れを含んだ笑い声に、私は彼の腕を弱く引いた。


「月見草が咲いてます」
「ん?ああ、もう夕方だしな」
「やっぱり、まだ白いですよね……」


しゃがんで花びらをつつきながら、母の言葉を思い出す。
蕾が開いてから暫くしないと、桃色に染まってはくれないらしい。
しかも一夜で萎んでしまうから、染まった姿は夜半じゃないと見られないのだ。


「夜中までここにいればいいんじゃねえの?」
「私の家、門限厳しいって知ってるのに。平助さん意地悪です」
「悪かったって。その内機会があるかもしれないじゃん」


ほら、帰るんだろ、と差し出された手をとって立ち上がる。
歩き出そうとする平助さんの手を、ぎゅっと握って引きとどめた。


「有処?」


怪訝そうな声に、目を逸らした。
私の門限が近いから、もう帰らなきゃってなってるのに、我儘が口をつきそうになる。
――もうちょっと、一緒にいたいだなんて。


「あの、」
「なんだよ」
「……もうちょっと、ゆっくり歩きませんか?」
「へ?……悪い、速かった?」
「え?あ、いえ、そうじゃなくて」


歯切れの悪い私の言葉を、平助さんが不思議そうな顔で静かに待つ。
まっすぐ言わなきゃ伝わらないけど、そのまま口にするのが恥ずかしい。

私ばっかり、一緒に居たいって思ってるみたい。
なんだか悔しい。そう思うのは、目の前の彼がだいすきだから。


「やっぱり、なんでもないです」
「なんだよ、気になるじゃん」
「あ、ほら急がないと怒られちゃう」
「うわっ怒られるのお前じゃなくて俺じゃねえか!」


握った手を今度は私が引っ張って、あんまり嬉しくない家路を急ぐ。
またすぐに逢えるけれど、そういう問題ではないのだ。

もうちょっと上手い誤魔化し方があればなぁ。自分から一緒の時間を削っちゃうなんて、馬鹿みたい。
平助さんの顔を見つめてみたら、なんだよ、って小さく口を尖らせる。
その顔が可愛くてすきなのだ。不完全燃焼な気分が浮上して、私の口から笑みが溢れた。
そうしたら平助さんも、笑ってくれるのを知っている。

初夏のちょっと暑い空気の中でも、手だけはずっと繋いでいた。


***


家に帰って暮れ六ツ。
夏に入り始めたとはいえ、まだまだ日が長いとは言えなくて、町はすっかり闇の中。
夕餉も終えてしまった私はいつものように、筆を握って作りたい和菓子の意匠を紙にうつす。

ふと筆を止めた時、外に誰かの気配を感じた。
こんな時間に誰だろうと、首を傾げて障子を開く。


「あ、」
「え、……っへ、「ぅわ馬鹿っ気付かれるっ」んむっ」


さっきまで一緒にいた、ここにいるはずのない人の姿。
驚きのまま名前を叫びかけた私の口を、伸びてきた手が素早く塞ぐ。

わかったから離して、と手のひらを叩いた。加減してください、鼻もふさがれてちゃ死にそうです。

隣の部屋にいるだろう両親に気付かれないよう、筆を示して筆談する。


[どうしてここに?]
[連れて行きたいところがあって]
[?どこですか?]
[内緒。行くだろ?]


返事の代わりに、平助さんに抱きついた。
何でもない今日という日に、再び逢えてすごく嬉しい。

こぼれる笑みは彼には見えてないけれど、その雰囲気は十分伝わる。だって、私もわかるから。
彼の顔が見えなくたって、平助さんだって笑ってること。

ああ、でも履物がない。取りになんか行ったら気付かれてしまう。
手を離して困った顔を見せると、平助さんは心得たようににやりと笑った。


[屯所からちゃんと持ってきた]
[ほんと?]
[俺のやつ履いて。俺は左之さんの勝手に借りてきたから]
[それって大丈夫なんですか]
[ばれなきゃいいんじゃね?]
[後でげんこつかも]
[うげ。逃げ切る]
[応援してます]


くすくすと漏れてしまう忍び笑いに、気付かれてしまったらどうしよう。
そう思いはするのだけれど、やっぱり中々止められなくて、ふたりで口をおさえていた。

ある程度おさまったら、渡された草履を履いた。私より大きい。当たり前だけど。
なんだかどきどきしていたら、平助さんは複雑そうだった。
目線で問うと、耳元で低く呟かれる。


「左之さんの草履、でかい」


笑いを誤魔化せなくて咳込んだ。

慌てて口を押さえて黙り込む。ばれた?ばれてない?

顔を見合わせて忍び足。まだ寝る時間よりは早いから、ちらりと通りを歩く人が見える。

でも暗いから、男の人しか歩いてないし、向かう方向が遊郭だ。
その流れを逆方向に、ふたりで静かに歩を進める。

夜の町をこんな風に歩くのは勿論初めて。
平助さんがまたひとつくれた初めてに、胸の真ん中があたたかくなる。


「時間ねえし、ちょっと急ぐぞ」
「はーい」


風を切る背中をついていく。闇の中をどこまでも。
初めての夜の道も、どこに行くのかわからなくても、少しだって不安はなかった。

平助さんと一緒だから。

その内に視界が開けた。
暗いのに、その一角だけどうしてか明るい。
地面が光っているからだ。見て、私は嘆息した。


「平助さん、これ……」
「へへ、……ちゃんと、桃色だろ?」


空き地の一角を埋め尽くす淡い桃色。
それは紛れもなく、夕方にふたりで眺めた花の姿。


「あの後、偶然ここを見つけたからさ。これは連れてくるしかねえと思って……って、……違う花じゃないよな?」


平助さんが、声を出せない私を心配そうに覗き込む。
要らない心配に、私は慌てて口を開いた。


「ちが、〜〜っ、どうしよう、平助さん……」
「は?どうしようって、……何がだよ?」


平助さんて、嘘が下手。
ここは屯所と反対側だ。お気に入りの鍛冶屋さんも、古着屋さんも、蕎麦屋さんもこっちにはないってわかってる。

なんで泣きそうになってるんだろう。困らせちゃうってわかってるのに。
ぎゅっと強く目を瞑った。涙なんか、どっかいっちゃえ。


「嬉しいです。すごく、しあわせ」


感極まったときって、どうしてかうまく笑えない。
変な顔かもしれないけど、伝えたいありがとうを逸らしたくなくて。
結局その変な顔で、平助さんに笑いかけた。


「っ……」
「……?……平助さん?」


小さく息をのんで、固まってしまった平助さん。
どうしたんだろうと見つめていると、段々頬が赤く染まった。
暗い中でもわかるくらいに。

照れてる。すごく照れてる。

どうしよう、私まで照れてきた。
見なくてもわかる。だって今、ありえないくらい頬が熱い。


平助さんから目を逸らして、足元の花を見た。
ふんわり軽い四枚の花弁が、先から薄桃に染まる姿に顔が綻ぶ。

ぷちんとひとつ千切って、彼の目の前に差し出した。
面食らいながら受け取る平助さんに、とびっきりの笑顔を向けて。


「花言葉は【自由な心】。平助さんにぴったりですね」


ぷちっと小さな音がして、目の前が白桃に染まった。


「馬鹿。有処にぴったりだよ」





「どこだったかは忘れたけど、月見草が沢山咲いてる場所があったの。そしたらお父さんが一輪とって、お前にぴったりだなってくれたのよ。雰囲気も何もなかったんだけど、なんだかすごく可愛かったの」
「もう、母さんってばなぁに、それ。聞いてるこっちが恥ずかしいじゃない」
「花言葉教えてあげる。おかしいんだから、お父さんたら……」

 


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