薄桜鬼 2

□桜舞う刹那の夢
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「洗濯終わったら散歩に行こうって言ったの、平助さんなのに」


二倍速で終わらせて探しにきたのに、平助さん思いっきり寝てるし。
いいけど。疲れてたってことにしてあげる。
気持ちよさそうに眠る彼の鼻を突っついた。


「楽しみにしてたんだけどな」


寝ちゃった彼を起こすのは大変なのだ。
不機嫌になっちゃったら嫌だし、本当に疲れてるかもしれないし。

また今度でいい。
私たちには、こういう機会が「また」あるから。

勝手知ったる屯所の中。押入れから布団を引っ張り出す。
春になって、結構暖かくなってはきたけれど、このまま寝ていたら風邪をひいてしまう。
平助さんの上に出してきた布団をかけて、私は勝手に文机を借りた。

空に舞い始めた薄紅の花びら。
どの季節も好きだけれど、どうしてか春が来た時の嬉しさは格別だ。
湧きあがる衝動のままに、紙に筆を走らせた。


***


目を覚まして、一瞬、何がどうなったかわからなかった。

俺、何してたんだっけ。

体を起こすと、ずり落ちた布団。ああ、俺寝てたのか。
寝る前は何をしてたっけ。
首を回すと、ごきごきと音が鳴った。
変な寝方しちまったかな。寝違えてなくてよかったかも。


「あれ?……有処?」


すぐ隣に、背中を丸めた誰かの姿。彼女を見て思い出した。

俺が散歩に誘ってたんだった。

あーー。……やっちまった。
嬉しそうに頷いた笑顔を見たのにな。

俺が起き上がっても、少しも反応しない有処。
集中してるのかと思ったけど、それにしては手が動く様子もない。
もしかして、と覗き込んだら、彼女の目は案の定閉じられていた。


「……男の部屋で寝るか、普通!」


思わず出した大声にも、有処が起きる様子はない。それどころか、小さな寝息まで聞こえてきた。
僅かに浮いていた頭が傾いて、頬が机に接触する。その衝撃で、ひとつに纏められた彼女の黒髪がさらりと流れた。

細い、白い項が覗く。呼吸に合わせて上下する背中。無防備に投げ出された柔い手のひら。
ごくりと生唾を飲み込む音が、やけに大きく脳に響いた。

ここで手を出したら最低だ。約束を放り出した挙句、寝てる女相手に好き勝手するなんて、まず人としてどうかと思う。
大切にしたい人だし、彼女の両親にも顔向けできない。
だからさ、お前はもうちょっと俺の努力に協力しろよ。

ちらちら彼女を窺ってしまうのは仕方なかった。
有処の髪を纏める髪紐にふと目がいく。
彼女が机に向かうときは、いつも髪を纏めていた。纏める紐は、いつも同じ色に柄。
昔ふたりで出かけた時に、俺が買ってやった物。
……だからこういう可愛いことやられると、俺の身が持たないだろ!

深い深いため息をついて、彼女の腕に手を伸ばした。
投げ出された手のひらは温かいし、硯の墨もまだ乾いてない。
寝入ってしまったのは今さっきのことだろう。


「……筆握ったまま寝るなよなー。墨勿体ないし、筆も悪くなるっての。寝るんならせめてもう一枚何か羽織れよ、風邪ひくって言ってんだろ。まったく、バカはひかないにも程があるよ」


彼女の真珠みたいに白い指から、起こさないように筆を抜き取る。
口の開いた無防備で間抜けな寝顔に、悪戯心が顔を出した。

頬をつつくと、小さな唸り声と共に寄る眉間の皺。
まだ乾いてない墨で筆を溶かして、彼女の額に押し当てた。


「…………っ」
「…………。」
「……っくく……。」
「……んぅ……。……?」
「……あ」
「……へ、すけさん……?……?」
「やべ」


***


起きたら、平助さんの顔が近くにあった。
状況が呑み込めなくて、とりあえず目をこすろうと手を持ってくる。
けど、こする前に手を掴まれた。どうして?

……というか、寝顔見られてた!!


「っ……」
「…………。」


恥ずかしい。っていうかひどい。平助さんのばか。お嫁にいけない。
羞恥に燃える顔を隠そうにも、手のひらは両方捕まえられてしまった。だからなんで?!

睨みつけたら、平助さんが噴出した。


「な……」
「っぶはははは!やべーー有処似合う!」
「は、え?何……?」


緩んだ力に右手を引き抜く。
指を頬に滑らしてみたら、ぺたぺたした感触がまとわりつく。
離してみた指が黒い。硯の墨が、減って、る?


「……。」
「ははははは……は……?」
「やりましたね……?」
「いや、その、」
「人が寝てるのをいいことに……。ふうん?」
「は、話せばわかる!な!」
「な、じゃない!そこに直んなさい、顔をお出しっ」
「大丈夫だって似合ってる!」
「似合ってたまるもんですか!」


袖をまくって、残り少ない墨に指をつっこむ。
捕まえられたままだった左手で、逆に彼の手をひっ捕らえて、真っ黒な右手の人差し指を突き刺した。


「服にとぶだろ!」
「染み抜きはご自分でどうぞ」
「ふざけんな」
「先にふざけたのは平助さんです」


つんとそっぽを向いてみせると、平助さんは思いっきり噴出した。
その顔を見て、私も笑いが止まらなくなる。
真っ黒な顔。乾いたところが、かぴかぴしてきて気持ち悪い。

平助さんはほとんど墨の残ってない硯に指を入れて、私の頬にあてがった。
擦れる感覚がこそばゆい。もう肌色が残ってるところなんて、少しもないんじゃないのかな。


「何書いてるんですか」
「おかしばか、って書いた」
「合ってる!」
「知ってる。お前何書いてんだよ」
「けんじゅつばか」
「合ってる!」
「知ってます」


顔洗いに行こう、と差し出された手を取った。

生乾きの墨でぺたりとくっつく私たちの手のひら。
部屋を出たら陽が傾き始めていて、袖をまくった腕がひやりと冷える。
でも、くっついた手は暖かい。

手、離れないね、と笑いながら、ふたりで春の落日を見送った。








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