さなにおさな通常版:4

□七夕
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気づいた時には耳元でぴしりという鋭い音が鳴った後だった。
じんわりと痛みが広がるのを堪えながら頭を下げる。

「弦一郎。今朝は集中できておらんかったようだな。たるんどる」
朝餉の席で祖父がしかめつらしく注意すると、孫は素直に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「何か気になる事でもあったのか?道場に入った時には既に上の空だったようじゃが」
母に聞かれないように慮ったのか、祖父の声が小さくなる。
「特には・・・」
ないと言おうとして思い出した事があった。
「外に出た折、何気なく空を見上げたせいかもしれません」
「空?」
「常なれば見えぬ星が、今朝方はよく見えたので一句ひねろうかと思ったのですが」
「できたのか?」
孫は少し顔を赤くして首を横に振った。
「そうか、今日は新暦の七夕じゃな」
はたと膝を叩いて祖父は愉快そうに笑う。
「旧暦の七夕までの間によいものを作って見せよ。気に入れば何か褒美を取らそう」
「真にございますか」
「武士に二言はない」
鷹揚に頷く祖父に、真田は嬉しそうに瞳を輝かせた。

それから数日。あいもかわらず頭をひねり続ける真田に部員たちも様子がおかしいと騒ぎ始めた。
「弦一郎。部員たちが落ち着かんぞ」
「何がだ」
「この数日。お前の怒声が止んでいる。皆気味悪がっているぞ」
「む・・・」
句の事は考えないようにしていたつもりなのだが、祖父からの褒美という予想外の展開に気が緩んでいたかもしれない。
それを素直に打ち明けると、柳は少し驚いた様子だったが小さく笑みを浮かべ、励ますように真田の肩を叩いた。
「そうか。それはよいことだな」
「そ、そうか?」
「ああ。折角だ。じっくり考えるがいい。ただし部活の間は控えてくれよ?」
「む。すまん」
とは言ったものの、柳は少し気になる事があった。

「真田」
「む。今度は仁王か」
「今度って何じゃい」
馬鹿にされたのかと唇を尖らす仁王に真田がそうではないと付け加える。
「いや、最近どうもたるんどるようでな」
「ほんまにの。シャツ見てみんしゃい」
言われて見れば表と裏が逆になっていた。
「な、なんだこれは!」
「お前さんが最近みょ〜に上の空やったけん、イタズラしてやったと」
悪びれずに答える仁王に掴みかかりたいのをぐっと堪える。
「参謀に聞いたぜよ。お前さん、相変わらずじーさん子やの」
「む」
今度は真田が馬鹿にされたかと眉間の皺を深く刻む。
「そうやのうて。いまどき珍しいおもうての」
「そう、なのか?」
「まーじーさんが褒美くれるちゅうてそんだけ張り切る中学生はここら辺じゃ見んちゅうだけぜよ」
「お前は?嬉しくないのか?」
「さー、どうかの?」
まるで子供のような問いに答えかねて仁王は後ろ髪を弄り始める。
「で、どうしたのか?もう帰ったと思っていたのだが」
シャツの表裏を直してきちんとボタンをはめる真田は先ほどの練習で汚れたユニフォームもきちんと畳んでバッグに収めている。
「マメやのう」
「習慣になっているのだ。今更変えられるか」
ふん、と鼻を鳴らす真田に肩を竦める。
「ほんなら俺らにもあんまりきつうに言わんでほしか」
「言ってもらえるだけありがたいと思え」
「あ〜はいはい」
「はいは一度だ」
ネクタイを直して帽子を被り直すと真田はバッグを担ぎ上げた。
「もういいのか?」
「ああ。お前さん、まっとっただけやけん」
「何?」
「参謀が。お前さんが一句ひねるまでは登下校が危ういから面倒見てくれとさ」
「ナンだと!?」
途端に気色ばむ真田にしたり顔で近寄ると仁王はネクタイをひっぱる。
「ほれ、隙だらけじゃ」
室内にちゅと短い音が響く。照明が落とされたのはそのすぐ後だった。

期限ギリギリまで真田は粘り、なんとか祖父に見せられるものを作ったが、あの日部室で詠んだ句は仁王と二人だけの秘密になった。

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