カルタ小説

□「た」
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「心拍数、脈拍ともに低下」

白い服を着た大人たちがママのいる部屋をせわしなく出たり入ったりしていた。

みんなとても怖い顔をしてママの周りに集まってくる。

僕はそれが嫌だった。

それに昨日まで元気だったママがなぜこんなとこで寝ているのか不思議でならなかった。

「ママ、帰ろう?」

ママの手を掴もうとした瞬間、いつもと違う光景が飛び込んできた。


いつもはありもしないママの腕にたくさんのコードがつながっている。

ママが今どういう状況にいるかわかっているつもりだった。

でも無意識のうちに頭がそれを拒絶する。

「ママ……帰ろうよ……

今日は僕がご飯作るって言ったよ。

ママ、食べてくれるって言ったじゃん。

食べてくれるって言ったのに……

いい子になるから、ママ……

起きてよ……ぐすっ」

僕はママの手を掴んだまま、その場にうずくまった。

ママの手はとても大きくてやわらかかった。

いつも見ているママの手がとても偉大に感じた。

「裕太、よくみておきなさい。

お前をずっと愛してくれたママを」

となりでパパの声がした。

パパは目にいっぱい涙をためていた。

なんで泣くの?

「この人たちはママを治してくれるんでしょ?」

「よく見ておくんだ」

今日のパパは怖かった。

これから何が起こるか本当は知りたくなかったんだ。

僕はママの手をぎゅっと握りしめる。

とてもやわらかい手から奔流する温かいぬくもりが僕の体温を刺激した。



「ピィーーー」


それは突然やってきた。

甲高い不協和音が僕の耳を刺激した。

心臓が止まった音だ。

白い服を着た人たちがママをどこかに運ぼうとする。


手際よく無機質な目で、さも当たり前のように作業を開始する。

僕はママの手を離そうとしなかった。

「裕太……ママは……」

「やだ! ママと約束したんだ!

今日一緒にご飯を作るって言ったよ!

食べてくれるって言ったもん!

食べてくれるって……

ママと約束したんだぁぁ!」

ぐったりうなだれた手を握りしめたまま少年は泣き叫んだ。



少年は必死に母親の手から失せてゆく体温をもとに戻そうとしていた。

たとえそれが無駄なことだと頭のどこかでわかっていても、少年の手から母親の手が離れることはなかった。


少年はそれが今自分の出来る唯一のことだと信じていたから。

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