知識

□仏教のはじまり
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仏教
ぶっきょう
英:Buddhism

インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。

キリスト教・イスラム
教・ユダヤ教と並んで世界四大宗教のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)である。

仏教とは一般に、仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。

約2500年前(紀元前5世紀)にインドにて発生。他の世界宗教とは異なり、自然崇拝や民族宗教などの原始宗教をルーツに持たない。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身・出自を問わない自由な立場の思想家・宗教家・修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、とくに初期経典からそのような方向性を読み取れる。当時の世界的な時代背景は、都市国家がある程度の成熟をみて社会不
安が増大し、従来のアニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった時期であろうと考えられており、医学・農業・経済などが急速に合理的な方向へと発達し始めた時期とも一致している。
仏教の教義はあらゆる生命の住む世界を「世間」とし、そこでの生き方に関する教え(世間法)と、それらを越えて悟りに至る教え(出世間法)との二軸で構成される。世間法については当時からあった社会道徳や宗教観とそれほどの大差はなかったが、仏教が当時のインドの他の教えと異なったのは特に出世間法における教えと実践法であった。それは生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とするものである。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励することが特色である。
物事の成立には原因と結果があるという因果論を原則として、生命の行為・行動(思考・感情も含まれる)にはその結果である果報が生じるとする業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。また個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
仏教は神を信じる宗教ではない。仏教における神の扱いは、人間などと同じ生命(有情)の一種という位置づけであり、厳密には仏教徒の間で神々は帰依の対象とはならない。本来的には何かに対する信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的にはアブラハムの宗教のように信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており、たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない。また仏教ではあらゆる個人存在のうちに魂、または普遍的な我といった存在を一切認めない(無我)世界である。

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