Nin

□呪い
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物心ついたころには夢を見ていた。彼の背中を見続けている僕。赤い忍者が迫る。目の前の青空。そして僕は呟いた。夢が怖くて小さな頃は泣いていた。そんなとき、兄は僕を抱き締めてくれる。夢を知っているかのように辛そうな顔をする。秀作は一人じゃない、お兄ちゃんがいるからな。実際、兄は僕が高校に入学するまでずっと傍にいてくれた。何度も滑り台や階段から落ちるからかもしれない。今は一人。また、一人。
ヒーローの話をしてから彼はどこかに行ってしまった。昼食も一緒にとれない。二人分の席、向かいは空席。僕は頭があまり良くないから、きっと賢い彼は嫌になってしまったに違いない。それでも待つ僕。雨はまだ止まない。
階段を降りながらふと思う。そういえば彼に出会ったのはここだった。踏み外して地に落ちていく……そう、今のように。しかし体は腕に支えられていた。大丈夫ですか?善法寺伊作君が僕を受けとめている。どうして彼じゃないんだろう、彼だったらよかったのに。


以前にも同じことを思った。いつかは分からない、夢の中かもしれない。雨が次第に止んでいく。明日はきっと、晴れ。









それは呪いだった。



どんなに思い出そうとしても夢の彼が分からない。後ろ姿、髪の色、表情、最期の言葉、兄まで分かるのに彼だけが。どこかで会った気がするのだ。分からないのに、知っている。夢の人物を探していったい何をするんだと理性が問う。しかし足が、手が、目が、心が彼に会いたいと動いた。会わなければならないと、会うことは決定事項になっていた。
平日の朝。久しぶりの晴れ。頭上は綺麗な青空。確かこんな日だった、夢の中の悲劇は。……悲劇だったのだ。彼が体調不良で休職すると父から聞いた。普段から抜けているのにその状態で帰れるのかと心配になり追いかけた。ただ会いたかった。会えた。けれどもう遅かった。赤い忍者と彼。彼は崖から落ちていく。無意識に忍者を殺し、崖の下へ降りる。『呪われよ』。確かにそう言われた。こんなことを言う子ではなかった。脳にこびり付く。涙がぼたぼたと落ちた。拭いはしない、誰も見ていない。彼は息をひきとった。



これは悲恋だった。私は彼を愛していたのに、思いを伝えられなかったのだから。






すぐに気付くべきだったのに



痛くても辛くても思い出さなくてはならない。授業中もずっと考えていた。板書はただの記号としてノートに書き写し、窓の外を眺める続ける。彼が体操着姿でしゃがんでいた。具合でも悪いのだろうか、酷い状態なら彼の兄は見逃さないだろう。彼は保険委員らしき人に支えられ、校舎に入っていった。次は昼休みだし、終わったら会いに行こうとぼんやり思った。

そういえば彼に会うのは久しぶりだ。夢ばかり考えて、他は気にも留めなかった。昼食を持って保健室を訪ねるとベッドは空。新野先生、小松田君は?小松田君は先ほど出ていってしまいました。顔色が悪かったが引き止めきれなかったと辛そうな顔をする。何故だろうか、嫌な予感がした。急いで彼の教室に行く。しかし彼はいない。


今日は晴れ。綺麗な青空。あの日と、同じ。


階段を駆け上る。一段一段踏むごとに夢の記憶が鮮明になっていく。夢の彼がはっきりと分かる。屋上へ続く扉を開け、フェンスの上に立つ彼の姿が目に映った。淋しそうな背中。けれど、あの時とは違う!小松田君!一気に間を詰め、後ろから彼を抱き締め下ろした。ドンッと地面に座る。顔を覗き込むと泣きもせず皺も寄せず笑いもせずただ虚ろな目があった。……利吉さん。今度は間に合って良かった。安堵の息。覚えてて…くれたんですね…。忘れられなかったよ呪いのおかげで。



そして彼はゆっくり薄らと、しかし確かに微笑んだのだった。











夢から醒めて



あれから彼は気を失ってしまった。そして目が覚めると「利吉さん、お久しぶりです」なんて今会ったようなことを言う。何にも覚えてないの?屋上のドアを開けてから……どうしてここにいるのでしょう?…………さあね、私が着いたときには既に意識がなかったから。言っていいのだろうか。夢の彼が君に乗り移って屋上から飛び降りようとしてました………信じるはずが無い。しかし彼は何かを察したようで、私の嘘に疑いの表情は出さなかった。
学校のチャイムが鳴る。彼は遅刻だっと立ち上がるが間に合うはずがない、これは終了の知らせだ。小松田君。はい?どんなに急いでいても振り向いてくれる。私はそれに甘えていた。現状のままで良いと思っていた。けれどもう変わらなくてはならない。呪いは警報、二度と悲劇を起こさないための。


好きだよ。


彼は一瞬目を見開いた。そしてポロポロと涙を流す。あれ、あれ?何で涙がでてくるんでしょう、と指で拭っているけれど止まる気配はなさそうだった。覚えてなくても期待はしてもいいのかもしれない。気持ちを態度で表わそうと唇を彼の瞼に近付けた。




私は呪われていた。彼から離れられない呪い。しかし今は『のろい』ではなく、『まじない』だと思えるのだった。
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