Nin

□七夕の話
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 駅の改札前は日陰といってもむしむしした暑さは日向と変わりなく、不快な汗が額から流れた。時刻は午前十一時。小松田君と約束している時間だ。音で電車が到着したことを確認し、階段から下りてくる彼の姿を探した。のんびりゆっくりと歩いている茶髪の高校生。広告でよく見るジーンズを穿き、どこにでもありそうなオレンジ色のTシャツの上にありふれたチェックの緑のシャツを羽織っている。加えて灰色の斜めがけバック。そんなありきたりな格好していても、私には彼を見つけるのは簡単だった。
 
「利吉さん!」
 
 元気よく手を振り改札を抜けた彼は私に駆け寄り微笑む。別に走らなくてもよかったのに。そう言ったけれど内心は嬉しかった。
 今日は彼に勉強を教える約束をしていた。斜めがけバックの中身は分厚い参考書やノート、文房具だろう。そうでなくては困る。彼は受験生なのだから。
 駅から出ると直射日光が容赦なく肌を焼いた。暑い、暑すぎる。手で扇ぐが全く効果がない。
 
「アイス、買いませんか?」
「それがいい」
 
 近くにあったスーパーに入る。冷房がガンガンに効いて気持ちがいい。節電対策は別のところでしているようだ。
 入り口に入ってすぐの特設コーナーには長い竹が立ち、笹にカラフルな短冊をぶら下げていた。ああ、今日は七夕か。願うことができる日だ。
 竹の前にある机に色とりどりの短冊とペンが置かれていた。ご自由に書いてください。幼い子供が喜びそうな企画である。笹にかかった願いはやはり子供らしい内容のものから明らかに大人が書いたものまでなんでもあった。『まほうつかいになりたい』『内定ください』『新幹線に乗りたい』『幸運を我に』『憧れの人に追い付きたい』などなど。
 彼が目をきらきらさせて短冊とペンを持った。来年は大学生になるというのに頭の中はお子様と変わりない。いつまでも無邪気だ。
 
「利吉さんもどうぞ」
「私も書くのか……」
 
 水色の短冊を一枚頂いてペンを握る。願い。願いか。
 世間一般の人々はこんな願掛けなど信じていない。おまじない程度だと思っているだろう。しかし私の願いは叶っていた。ほぼ毎年である。
 
「ここは王道に志望校合格!かなあ」
「祈るだけじゃ学力は上がらないよ」
 
 運命の人について知りたいと願った年、頭の中に前世と思われる情報が流れ込んだ。私は優秀な忍者で、小松田君も忍者だった。彼はもともと学校の事務員であったのだが短冊に忍者になりたいと書いた年に願いが叶ったらしい。しかし素質が皆無だったようで、次の七夕が来る前に亡くなった。彼が幸せだったのかどうかは知らないけれど、忍者の私は泣いていた。運命の人は死んだ彼だと分かった。
 運命の人に会いたいと願った年、私は小松田君に会った。昔と変わらぬ顔立ちだった。しかし会ったと言ってもエスカレーターですれ違う程度の一瞬の出来事で声を掛けることすらできなかった。七夕の奇跡はあくまでも願いに忠実だった。おまけはない。
 運命の人と知り合いたいと願った年、父の紹介で私と彼は初めて会話をした。のんびりした性格は変わっていなかった。
 次の年は親しくなりたいと願い、今現在私の隣に彼がいる。うーんと唸りながらピンクの短冊を見ている。
 
「利吉さんは決まりました?」
「そうだね……」
 
 出会って、親しくなって、前世と同じ関係になった。あとは以前の過ちを繰り返さないようにするだけだった。
 彼と過ごした数年間はイライラすることも多かったけれど幸せだった。彼が忍者になってから崩壊してしまった。
何が足りなかったのか。何がいけなかったのか。今なら分かる。そして、七夕で叶えられないような願いではない。
 
「小松田君が私より長生きしますように」
「え、ぼくですか? 利吉さんって意外と優しいんですね」
「いいや、そんなことないよ」
 
 私は少しも優しくはない。これは欲望の詰まった願いだった。
彼のいる世界を知った今、彼のいない日常を想像することはできない。想像したくない。
 しかし彼よりも先に死んでしまえばそんな心配もなくなるのだ。なんて素晴らしい願い。
 私が書き終えると、彼も急いで自分の短冊に願い事を書き終えた。何やら満足そうである。
 
「貸して。笹に付けてあげる」
 
 彼から短冊を受け取り、できるだけ高いところに紐を結んだ。そして偶然を装って願い事を見る。
 それはなんとも気が抜ける内容だった。
 
「合格祈願はやめたのか……」
「さあ、アイス売り場に行きましょう!」
 
 アイスアイスと口ずさみながら彼は楽しそうに進んでいく。
そうだった。幼い子供と変わらない思考だった。
 私よりも欲望に忠実で、私よりも素直な彼。思うままを感情に出す。
 
 
『美味しいアイスがたべたいです。 小松田秀作』
 
 
 
 来年の願いは彼と私の仲が進みますように。これで決まりだ。
 
 
 
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