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□早朝の病院、つよがる、手錠
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(こへ→滝要素有)



病院独特の清潔感のある匂い。染み一つ無い白い壁。
汚いものなど一つもない(強いて上げるならば人間だろうか)と主張しているようだった。

「父上が病院に運ばれたと聞いたから、飛んできたのに。まさか尿結石なんて」

「お前は経験してないからそんなことを言えるんだ。滅茶苦茶痛いんだぞ」

「バランス良く、食事を摂らないからですよ」

父は真っ白なベッドの上で横たわっていた。
日が上る前に電話で、父上が救急車で運ばれた、と聞いたから始発電車に乗ったのに、尿結石なんて……気が抜ける。

お父上が元気でよかったですね!

にっこり笑いかける彼。父に触れないように一歩下がっている。
彼に私の慌てて取り乱している姿を見られたことが何よりも恥ずかしい。玄関で指摘されるまで、右足に革靴、左足に運動靴を履いていることに気付かなかったし。冷静な人物像が崩れていく。

「もう病院には慣れたのか?」

「は?」

「お前嫌いだったろう。お化けが沢山いるから怖いって」

「ちょっ、昔の話でしょう!」

彼が聞いているのに息子の恥ずかしい思い出を暴露するとは、知らないとはいえ残酷だ。
ここにいたら何を言われるか分からない。まさに危険地帯。
帰ります、とドアに向かうと背中に声がかかった。

「やっぱり怖いのか」

目をカッと見開き、振り向く。

「ち が い ま す」

「強がらなくていいんだぞー」

「強がってません!」





真っ直ぐ続く廊下。白い看護師、医者。そして、空中に浮かぶ血の気のないそれ。
だから病院は嫌いだったのだ。あちらこちらにいる『それ』が視界に入る。今ではもう慣れてしまった(しかも同棲している)から気にしていないけれども。
自販機のある待合室の椅子に座った。硬すぎず、柔らかすぎず、ちょうどいい。ここも毎朝毎晩、殺菌しているのだろうか。

利吉さん、あの人何かが違います

彼が指を差す。人に指を差すのは失礼だと習わなかったのだろうか。まあ、差した先は人ではなかったから別にマナー違反ではないのかもしれない。
青みがかった黒髪、少し濃い眉。渋い緑色のジャージを着ていても筋肉質だと分かる、獣を連想させる男。ICUの前で立っている。身体が透き通り、実体がない。そして、いつもの『それ』とは違い、身体に真っ黒な靄を纏っていた。
左手首にぎらりと光る銀色の手錠を着けている。片側だけで、拘束するためにしては意味がない。もしや、何処かから逃げ出してきたのだろうか。
『それ』がこちらを向く。殺意も悪意もなく、純粋な目で私たちを見ていた。
彼は『それ』に笑いかける。私は視線を逸らす。面倒なことに関わりたくない。
自販機で缶コーヒーを買う。これが飲み終わるまでなら話してもいい、と彼にしか聞こえないように言った。
彼は『それ』に近づく。

こんにちは、誰かを待っているんですか?

恋人を待っているんだ!

恨みや妬みを感じさせない、突き抜けた明るさ。体育会系らしい。バレー部だったら、アタックは『それ』の役目だろう。

恋人さんと待ち合わせですか。会えるの楽しみですね

ああ!ハロウィンのときに抱きしめることができたけれど、これからはずっと抱きしめられる!肌を感じたり、キスだってできるんだ!

惚気話を聞いている気分だ。ああ、ああ、仲の良いことで。
結局、『それ』の想いは恋人が原因なのだろう。しかしどうして黒い靄が? 犬のときは強い恨みだったが、『それ』にはマイナスの想いを感じ取れない。
コーヒーが半分くらいになったころ、ICUの扉から違う『それ』が現れた。茶髪のストレート、整った顔をした青年。

滝夜叉丸!

七松先輩……?

滝夜叉丸と呼ばれた青年は目を見開く。驚きと恐怖。少しも笑っていない。
反面七松は満面の笑みだ。

会いたかった滝夜叉丸!どれほどこのときを待ったことか!

待った? 嘘を吐かないで下さい、こうなったのは全てあなたの所為でしょう、ハロウィンの日、あなたは突然現れて、私を四階のベランダから落とし、病院の機材をぐちゃぐちゃにし、誤作動も起こした、私に治療を受けさせないために、あなたが、私を、殺した!!

だって滝夜叉丸を愛しているから

七松はにっこりと、しかし小松田君に向けたものとは違う、恋人のための甘い笑みを滝夜叉丸にした。
黒い靄の理由が分かった。この男は、狂っている。愛故にと、恋人を痛め付けている。
七松は滝夜叉丸の右腕を引っ張る。そして、空いていた手錠をその腕にはめた。

わたしはずっと待っていた、また滝夜叉丸の瞳にわたしが映るときを待っていた、もう離れない、決して離れない、崖から落ちても一緒だ、わたしと滝夜叉丸は未来永劫離れることはない、だって愛し合っているから!

私はまだ生きたかった、治療すればもっと長生きできたかもしれない、あなたは、あなたは、あなたは! 悪魔だ!

黒い靄が一層濃くなる。息苦しい。強い執着の重さ。小松田君も苦しそうに二人から離れた。
滝夜叉丸も逃れようとするが、手錠で動けない。



悪魔だろうと鬼だろうと、わたしは、滝夜叉丸の、恋人だ



黒い靄が二人を包んだ。そして笑い声と泣き叫ぶ声が響き、二人は靄と共に消えた。
残された彼と私。コーヒーを飲み、ゴミ箱に捨てる。ここに居ても仕方ない。

あの人達を救うことはできなかったのでしょうか

「少なくとも七松は救いを求めてはなかっただろう。私達が気にすることではない」

生者と死者が結ばれる方法。七松は己のために実行した。そして羨ましいと思ってしまう自分がいる。もし私が死者だったらきっと小松田君を。
彼の指輪が視界に入る。やはり赤い糸より手錠のほうが切れにくいだろうか。



ICUから出てきた泣いている子供たち。地獄の底で笑う鬼。






早朝の病院、つよがる、手錠



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