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□早朝の教室、幸福になる、指輪
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一限目から授業を取るんじゃなかった。火曜日になるたびにそう思う。
早朝の教室では欠伸をし、机に突っ伏している生徒が半数以上。私も欠伸を噛み殺した。
彼は右隣に座り、周りを見ていた。何度も来ているのに、まだ珍しく感じるらしい。
彼は外見に似合わず早起きだった。寝顔を一度も見たことが無い。以前、目覚まし時計が壊れてしまったときに彼が起こしてくれたことがあった。甘いモーニングコールなどと聞こえはいいが、首もとに触れる冷気は死を近くさせる気がしてならない。
鞄から教科書、ペンケースとルーズリーフを取り出す。この教科書が重い。無駄にハードカバーにしてしまうなんて、見栄よりも学生の生活を考えろ。

「おはよう利吉さん」

横から北石照代が挨拶してきた。私も余所行きの笑顔で挨拶する。
ルーズリーフを一枚あげただけなのに大袈裟に感謝し、以後この授業では隣に(鞄を挟んでいるが)座ってくる。授業中静かなのは別にいいのだが、それ以外ではお喋りなのが少し苦痛だった。
何処に住んでいるのか、何のアルバイトをしているのか、趣味は何だ、あれはどうだこれはどうだ、個人情報の収集でもしているのか。
しかし、私にもイメージ戦略があった。爽やかで優秀な大学生。笑顔で躱すしか方法がない。
右から冷気がくる。彼は微笑んでいるけれど、私は寒くて仕方がない。嫉妬してくれているのだろうか。ならば少し嬉しい。

「あら、指輪つけているの? しかも薬指」

北石の顔が笑顔で歪む。好奇心を擽ってしまったらしい。

「とうとう本命ができたのね。お相手はミスコンのあの人かしら。よくあなたのことを見つめているわよね」

「違う。北石には関係ないだろう」

「気になって仕方ないの。だって捨てた女は数えきれないと言われたあなたの本命よ」

顔を近付けるな、欝陶しい。しかも余計なことまで喋って迷惑極まりない。
確かに今までに女と付き合ったことはある。私だって健全な男だったのだ。しかし捨てたなんて言い方はないだろう。相手が勝手に逃げたのだ。私もそこまで好きではなかったから悔しくも悲しくもなんともなかったけれど。

「別れる前に、指輪のもう一人の持ち主に会わせてね」

すぐ近くにいるだろう。私の隣にいるだろう。お前が見えないだけだ。



利吉さんはやっぱり女性に好かれるのですね

下校中、彼が外方を向いて言う。目を合わせろとは言わない。私にもできぬことだ。人前では返事もできない。だからこれは彼の独り言。

利吉さんは綺麗な人と結婚して、幸福になってくださいね

背中に彼が近づく。痛いほど冷たい空気。耳にあるはずのない冷風がくる。


そして、僕を忘れてくださいね


そんなこと、できるはずないだろう。君を私の中から消すなんてことはできない。
そもそも、君以外を好きになることは、ない。
しかし私は言えなかった。ここが人前だからと、理由をつけて。

彼はにっこり笑う。心中は分からない。尋ねる勇気を臆病者が持っているわけがなかった。




早朝の教室、幸福になる、指輪




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