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□昼の床の上、逃げる、ラジオ
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冷たい風、冷えた足元、寒い冬。
そんな日に温かい緑茶を飲めば自然と溜息がでた。きっと猫舌には分からない。
平日の昼間にも関わらず若い夫婦が私たちに相談というのは切実なのだろう。有給を取るぐらいには必死なのかもしれない。
若い夫婦の家は茶色の壁に焦げ茶色の屋根、ありふれた家だった。
室内には夫婦が映った写真が飾られている。にこやかに腕を組んでいた。

「それで、何を解決してほしいのでしょう」

助手の鉢屋君はメモ帳とボールペンを懐から出す。日付と名字を書いたことを確認し、視線を依頼人の妻に戻した。

「子供がおかしいんです」

「おかしい?」

女が眉を寄せて俯く。

「何もないところで突然笑ったり、泣いたり、怯えたり」

「子供の年齢は?」

「六歳です。……あの子は何かに取り憑かれているに違いありません」

六歳。夢見がちな年齢。けれどもある程度なら現実が分かっているはずの年齢。
まさか我が子がこうなるなんて、と思っているのだろう。どこの依頼主も似たようなものだ。非現実から距離を取りたい人は多い。

「可能性はあるかもしれませんが、見なければ分かりません」

「優作はあんなにいい子なのに……!」

優作。おかしい子とは別の息子だろうか。女は泣いてしまい、聞くことはできなかった。



依頼主を先頭に子供部屋へ案内された。男は世間話をしながら階段を上る。女は先程の場所でえんえんと泣いていた。
ドアに可愛らしい熊のプレートがかかっている。プレートを捲ると鍵が隠されており、男はそれで鍵を開けた。

「入るよ」

ノックもなしに扉が開かれる。そこは子供部屋だった。パステルピンクの壁、ベッドはぬいぐるみが陣取っている。床の上では少年が猫じゃらしを寝そべりながら振っていた。
男は目を逸らす。小声で、おかしいでしょう、と呟いた。
男の目にはおかしく映るのだろう。大多数の人も同じ光景を見れば同じ感情を持つだろう。
しかし私たちには何一つ変には思えなかった。なぜなら少年の目の前に猫が見えるからだ。ただし、その猫は透けているけれど。

「おとうさん」

少年が顔を上げる。ふわふわの茶髪、大きな目。彼に似ている。彼が幼かったらきっとこうなのだろうと思う。そして何より纏う雰囲気が同じだった。
いいや、彼はここにはいない。もうこの世にはいない。
でも、もしかしたら。

「息子の秀作です。後はよろしくお願いします」

逃げるように退出する父親。非難めいた目で鉢屋がそれを見る。
私はそれよりも名前が気になった。秀作。やはり少年は彼の生まれ変わり?
期待をしてはいけないと高鳴る胸を抑える。落差が大きいほど悲しみは増殖してしまう。
嫌われないように、恐がられないように、子供向きの笑顔を作った。
本当は抱き締めてしまいたい。溢れる雫を零してしまいたい。しかしこの子が彼か分からないし、もし彼だったとしても覚えていないだろう。それをするにはリスクが高すぎた。

「こんにちは、秀作君。私は山田利吉。隣にいるのは鉢屋三郎」

「こんにちは」

彼は花が咲くように笑う。少し目元が赤い。
戯れるのを止めた猫はじぃっとこちらを見つめてきた。もう察しているのかもしれない。

「可愛い猫だね。君に懐いているのか」

こくんと頷き、寂しそうに微笑む。私と過ごした彼と似ていた。
あのとき彼は何を考えていたのだろう。別れの日を待っていたのだろうか。

「利吉さん、やっぱりこの子は」

鉢屋に頷く。秀作には何も取り憑いていない。見えること以外、異常はなしだ。

「今、幸せかい?」

この子が確かに彼かは分からないけれど、笑っていてほしい。もし本当に彼だとして私を忘れていても、私が覚えていればいい。
土井先生ときり丸の逆パターンだった。死んでからも待ち続けたきり丸のほうが悲しみが大きい気がした。
覚えていたきり丸、忘れてしまった六年前の彼、どちらもよく笑っていた。
そしてこの子も微笑んでいた。

「ぼくは生きています。ごはんも毎日食べています。おへやがあります。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもいます。手足がうごきます。だからぼくは幸せだってお母さんが言ってくれます。幸せな子はきらわれるから、おへやに居続けなきゃいけないってお母さんが言います。おへやにいればいいんです。おへやがぼくの幸せです」

それは幸せなのだろうか。悲しみは少しも感じさせない。しかし、おかしい。
本人が幸せならそれでいいのかもしれない。けれども幼い子の幸せはどこか歪んでいた。


部屋を出て、依頼主に秀作には何も取り憑いていないと伝える。女は泣き崩れ、男が背を撫でて慰めた。
男はこちらを向く。

「あなたで十人目でした。けれどあなたは他の九人とは全く違いました」

「何が違ったのですか?」

私を詐欺師だと疑っているのだろうか。思わず皺を寄せてしまう。
伝わってしまったのだろうか、男は首を振った。

「何も取り憑いていないと言ったのはあなたが初めてです。おかげで決心が付きました」

ありがとうございました。頭を下げられる。
しかし私はまだ何もしていない。少年を見て、真実を伝えただけだ。
むしろ礼を言いたいのはこちらのほうだった。だって彼に似た子に会えたのだから。




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