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□まじないだより
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金曜日、雨の日。髪がボサボサ広がってしまう、ちょっと面倒な天気。
授業の終わった教室で女の子たちがお喋りをしていた。結構大きな声だから少し離れている僕の耳にも届いてしまう。

「こないだ◯◯(男の子の名前だ)の消しゴム見たらさあ、ハートマークが描いてあったの!」

「ああ、おまじないの? 男がやるなんて女々しい!」

「ホント、気持ち悪いよね!」

全身の血が冷たくなっていく。女々しい。気持ち悪い。どれも貶している言葉。
櫂君の目には僕の姿がどう映ったのだろう。思い返せば、いつもおまじないの話になると怖い顔をしていなかったか。やはり気持ち悪いと感じたに違いない。
そもそも男が男に恋をするなんておかしかったのだ。叶わぬ望みなのだ。
じわじわと目が潤んでくる。ああ、早く教室を出なくちゃ。零れてくる前に早く、早く。
乱暴に教科書を鞄の中に仕舞う。声をかけられる前に教室を出た。
今日はカードキャピタルに行きたくない。行けない。櫂君に会うのが怖い。
みっともなく泣いてしまうかもしれない。それは避けなくちゃ。だって嫌われてしまう。
好きなのに嫌われたくないから会いたくないなんて臆病だと思う。でも、思い出に気持ち悪くない僕がいるなら構わない。
治まれ悲しみ。落ち着け心臓。せめて家に着くまでは保ってほしい。
角を曲がったところで近隣の高校の制服が見えた。綺麗な緑色の瞳。どうして。

「アイチ?」

「かい、くん」

どうして、会いたくなかったのに。悲しむだけなのに。溢れてぼろぼろと涙が零れてしまう。早く止めなくちゃ。櫂君が驚いている。
細長い指が目元に触れた。少し冷たくて優しい温度。でも僕には毒にしか感じない。

「……振られたのか」

「振られるんだ……」

ずきりと胸が痛む。もう望みはゼロ。失恋が待っている。
帰ろう。帰りたい。好きな人に慰められるのは苦しい。

「僕、急いでるから……じゃあね!」

両腕を大きく振って走る。息が辛い。心も辛い。さようならは言えない。
速く走り過ぎてバターになった虎の話を思い出した。僕も溶けてしまえばいい。そうしたら辛くも悲しくもないのだから。
家の鍵が開いている。女の子の靴が綺麗に並べられていた。エミはもう帰っているらしい。パタパタ駆ける音がした。

「アイチお帰りなさい!」

「ただいま……」

ちゃんと笑っているだろうか。聡い妹にはすぐに暴露てしまうかもしれない。
二階に上がって部屋に篭った。コルクボードに貼られた写真が眩しく見えた。






憂鬱な土曜日の朝。時計の針は七時半。
トーストにバターを塗り、さらに苺ジャムを塗る。母の手作りジャムには苺が沢山入っている。エミと僕のお気に入り。
熱いパンにバターが溶け込む。サクッと噛んで、中のモチモチ感を堪能した。
テレビにはアニメが流れていた。モンスターカードの他にマジックカードとトラップカードがあって複雑だ。モンスターの召喚方法も融合とか生贄とか難しそうだった。
赤い服を着た主人公は明るく元気で常に前を向いている。それは周りにも伝染し、どんな暗闇も救ってしまうヒーローのようだ。
絶望的な展開でも逆転させ勝利する。ずっと楽しそうな笑顔で。櫂君の赤が黙示録の炎なら、彼の赤は太陽の赤だ。
どうして心を保っていられるのだろう。僕にはきっと出来ない。カードを信じる心はあるけれど、難しい。
結果なんて、やってみなくては分からない。そんなことが言えるのは自信があるからだ。誰もが持っている訳じゃない。
そう、森川君みたいに有り余る自信を持っている人が言えるのだ。コーリンさんが好きだと大声で叫べる。井崎君は恥ずかしそうにしているけれど。

「アイチ、今日はカードキャピタルに行くの?」

「今日は……」

エミが顔を覗き込む。きっと一緒に行きたいのだろう。でも今の状態でついて行くことはできない。
ゆっくりと首を振る。櫂君が必ずいると決まったわけではない。けれど、いないとは限らない。

「勉強しなくちゃ」

「そっか、受験生だもんね。じゃあ明日は一緒に行こうね!」

明日も行きたくない。しかしそれを伝えたら詮索するだろう。だから今は頷く。いざとなったら宿題が終わらなくて、と言い訳をしよう。
エミは納得したように笑って、支度のため階段を上っていった。
残りのトーストを齧る。テレビの彼だったら嘘なんて吐かない。むしろ気にすることなくカードキャピタルに行くだろう。僕にはできない。
落ち込む自分が嫌でまた落ち込む悪循環。早く塾に行こう。勉強に励もう。金平糖は食べなかった。




快晴の日曜日。心の中は大雨警報。
エミが布団を引っぺがし、覚醒へと導く。

「アイチ起きなさーい!」

冷気がまとわり付いてぶるりと身体を震えさせる。もう少し寝ていたい。平和な夢の中にいたい。目を瞑れば惑星クレイがすぐ傍に。

「今日はカードキャピタルに行く約束でしょ!」

「うわあ!」

エミののしかかり!きゅうしょに当たった!
眠ることはできず、嘘を吐くこともできない。ぐいぐいと腕を引っ張られ、階段を降りていく。
テーブルの上に朝食が並べられていた。母が微笑んでいる。

「おはよう。今日もカードキャピタルに行くのでしょう?お菓子、持っていく?」

「お母さんカードキャピタルは飲食禁止よ」

「あらあら、そうだったわね」

母の頭の中では僕がカードキャピタルに行くことが決定事項らしい。逃げ場は何処にもない。
あ、でも櫂君が来るとは限らないよね。最近はよく会っていたけれど、それは偶然。金平糖の力も借りている。
久しぶりに戦っているブラスター・ブレードが見たいな。彼の勇気が僕を導くかもしれない。
うん、行こう。ファイトをしたら気分が変わるだろう。強い己をイメージするんだ。

「あれ、金平糖は食べないの?」

「もういいんだ」

会ってしまったら困るから。



カードキャピタルは大にぎわい。さすが休日だ。ミサキさんもシンさんも忙しく働いている。
カムイ君が僕たちに気付く。目をキラキラと輝かせながら、おれの女神! と叫んでいた。エミの頭上にははてなマークが浮かんでいる。
井崎君たちはいるだろうか。キョロキョロと周囲を見る。一緒にファイトをしたいのだけれど。

「おーいアイチ!」

明るく呼ぶ声。三和君だ。お日様のような金色の髪が揺れる。三和君の向かいは、会いたくなかった人。
いつもだったら嬉しいのに今は胸が苦しい。何を話せばいいのだろう。言葉が詰まる。
背中をエミに押される。行きなさいと伝えている。逃げては駄目だと告げられている気分だった。 
一歩一歩前に進む。ばくばくと胸が鳴り、喧騒が聞こえない。足が重い。一秒が長く感じる。
やっと目的地に辿り着いた。三和君の隣には鞄が置かれている。櫂君の横にあるパイプ椅子は空席だ。
ここに座るしかないのか。どうしても緊張してしまう。それでも目を合わせる必要がないのはありがたい。

「何故一昨日は逃げた」

裾を掴まれる。前言撤回、隣に座ってはいけなかった。
どう誤魔化そう。言い訳が思い付かない。助けて三和君!と目で訴えたが苦笑いを返された。

「まだ告白はしていないのだろう?」

「……うん」

話を逸らすことは許されない。だったらせめて視線だけでも下を向こう。まるで死刑宣告を待っているようだ。

「相手に振られるとどうして分かる」

「だって、」

だって君は僕のことを睨んでいたから。気持ち悪いと思っているのだろうから。
これじゃあ気持ちを伝えているのと同じになってしまう。泣くな、泣くな。
櫂君はどんな表情をしているのだろう。蔑んでいたら、疎ましいと変わってしまったら。
怖い。怖い。でも話さなくてはいけない。

「男がおまじないなんて気持ち悪いって」

「それは本人から聞いたのか?」

「ううん、クラスの子が言ってた。でもね、その……好きな人は僕がおまじないをしてるって知っているし、良い顔はしなかったから、嫌っていると思うから」

嫌われたら怖いから。だから何も言えない。

「おれがおまじないを教えた所為だな。悪かった、アイチ」

三和君がすまなそうに謝る。はっとして顔を上げた。眉尻の下がった表情。違う、こんな顔をさせたかったんじゃない。

「そんな、謝らないで下さい。僕が悪いんです。僕が弱いから」

もっと強ければよかった。おまじないに頼らないくらいの自信が欲しかった。
もうどうにでもなれと隣の彼を見る。翡翠の目に吸い込まれそうだ。

「まだ振られてないのだろう。言わずに後悔するより、言って後悔したほうがいい」

「でも、」

「お前は勇気をもらったんじゃなかったのか」

勇気。誰にも負けない強い心。ブラスター・ブレードがくれた力。
ヴァンガードを始めて、僕は変わった。勇気を出して行動したことで世界が変わった。
今、再び、勇気を振り絞るときなのかもしれない。どんな結果が待っていようとも。

「僕、頑張るよ!だから櫂君、ファイトして下さい!」

「断る」

やっぱりファイトは許されないみたいだ。いつものやり取りと変わらない。
今日でそれも最後だろう。次からは姿を見ることすらないかもしれない。
見かねた三和君がファイトを申し込んでくれた。ブラスター・ブレードが手元に届いた。



月曜日。本日の授業を全て終え、教室を出る。櫂君が何処にいるかは分からない。でもきっと会える。金平糖を食べたから。
歩きながら左右を気にする。公園のベンチに彼は座っていた。なにやら手のひらサイズのノートを持っている。
まず、心臓を落ち着かせた。深呼吸。吸って、吐いて。
目を瞑ってイメージ。好きですと伝える。気持ち悪いと嫌われる。ごめんなさいちゃんと諦めます、と頭を下げる。ブラスター・ブレードも返したほうがいいのかな。本当は嫌だけれど、思い出して苦しい思いをするかもしれない。それから、また明日ねと泣く前に走り去る。
よし、準備はできた。さようなら、楽しかった日々。
ゆっくり歩き、彼に近づく。持っているノートから顔を上げて僕を見た。

「櫂君、僕は櫂君のことが、」

じいっと翡翠が見つめる。さあ言うんだ。緊張するけれど、ここで言わなければいけないんだ。力を貸してブラスター・ブレード。

「櫂君が、好きです」

言ってしまった。もう顔を見ていられない。最後に目にしたのが侮蔑の表情なんて悲し過ぎる。

「アイチ」

「そうだよね、気持ち悪かったよね、ごめんなさい櫂君」

「待てアイチ!」

ぱっと後ろを向いて走り出そうとしたけれど、手を掴まれて動けない。バサリとノートが落ちる音がする。
先の言葉を聞くのが怖い。しかし耳を塞ぐことはできないのだ。

「好きだ」

「……え?」

今なんと言っただろう。すきだ、鋤だ、隙だ、空きだ、数寄だ、スキダ。
頭がパンクしそうになる。だって予想外だったから。報われるなんて思ってもいなかったから。
思わず振り向く。赤い顔をして、真剣な目で見つめられる。
それが嬉しくも恥ずかしく、目を逸らしてしまう。そして見てしまった。小さなノートに書かれた文字を。


赤い色で櫂トシキ。青い色で先導アイチ。


「櫂君、あの」

「……うるさい」

ぐっと顎を掴まれて、落ちてきた彼の唇。甘くて嬉しくて涙が出そうで信じられなくてちょっと苦しくて。
精一杯腕を背に廻すと、目が優しくなったように見えた。


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