夜と騎士の事の成り行き

□夜と騎士の初めてがたくさん
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あれは忘れもしない、8年と少し前の大型の台風の日だ。

「あーッ!くそ!やっぱり呼び出しか!わかってたけどな!」

蒼士郎は、母のまお子が握力で軋む携帯に吠えるのがおかしくて笑った。

「携帯が可哀想だよ。」
「もー。蒼士郎は優しくていい子だね。お母さんの自慢の子どもだよ。」

まお子は市役所職員で、警報が出る度に非常配備のために招集されてしまう。
妊娠中の夫の浮気が原因で出産間もなく離婚してから、色眼鏡で見られても腐らず、明るく元気にがんばるまお子が、蒼士郎は大好きだ。
まお子になんの不満もないが、こういう日はずっとそばにいて欲しいとは思う。
まお子は今年から、小学生の子どもを夜に独りにしてでも、災害を前に出勤しなければならなくなった。

「ごめんね、蒼士郎。こんな日でも1人でお留守番、できるかな?」

まお子はこんな天気の中、仕事をしながら蒼士郎を外に連れ出す方が危ないと判断し、蒼士郎は大きく頷いて同意した。

「もちろんだよ。」
「流石ね。でも、お母さんはさびしいから、蒼士郎の傍にいたかったな。ごめんね。」

そもそもこの6年間、非常配備を免除してもらえた事が奇跡だった。
まだ幼い蒼士郎をロビーの端の椅子で待たせ、夜遅くに一緒に帰って来る事の方が多かったが、いい職場なのだ。
世間の目を気にして育った蒼士郎は、それをよく肌で感じていた。

「気をつけてな。」
「うん。お母さんは蒼士郎の次に自分が大事だもん。蒼士郎も台風の日の初めてのお留守番、がんばろうね。」

まお子は非常用リュックをしっかりと蒼士郎に手渡し、蒼士郎の頭を撫でてから出かけて行った。
風雨が叩きつける家の中、独りぼっちになった蒼士郎は、テレビを付けた。
よくわからないが、自分が住んでいる地区が危険である事はわかる。
楽しげなバラエティにチャンネルを変えても、外枠のテロップや速報が不安を煽る。
一瞬、部屋の明かりが消え、急に心細くなった時、雷が鳴り響いた。

「お母さん!」

思わず叫べば、風雨の音を裂き、インターホンが鳴った。
まお子が帰って来てくれたのかと駆けて行ったが、お留守番の鉄則を思い出して踏み止まった。
お母さんがいない時に絶対に扉を開けてはいけないのだ。
それに、お母さんなら鍵を開けて入って来る。
「じゃあこの人は誰だ?」と心細さが極まり、涙が零れる前だった。

「蒼士郎君!衛士の兄ちゃんの燦太だ!開けてくれ!」
「へ?」

なんでこんな日のこんな時間にそんな人が尋ねて来るのかわからなくて、蒼士郎は戸惑った。

「おい、衛士。おまえも何か言え。おまえが言い出しっぺだろ。」
「うわーん!そーしろー!開けてー!雨冷たいー!風怖いー!」

蒼士郎が慌てて扉を開ければ、扉は風で持って行かれてしまった。
それを燦太は足で支え、謝罪した。
その両手は、背中にしがみつくえいとの尻をしっかりと支えていた。
とりあえず蒼士郎は二人に中に入ってもらった。
えいとは燦太にレインコートを脱がされながら、号泣している。

「こ、怖かったー!」
「大丈夫か?こんな日に何しに来たんだよ、えいと。」

蒼士郎はえいとをタオルで拭いてやりながら、燦太を見上げる。
燦太はまだ高校生なのに落ち着いていて、微笑み方も大人びている。
蒼士郎にはいないが、父親とはこういうものだろうとなんとなく思った。
えいとは蒼士郎からタオルを借り、燦太に渡した。

「だってこんなに怖いんだぜ?」
「いや、だからこそ家で大人しくしてろよ。」

えいとは大きな目を瞬き、首を傾げた。

「うち、兄ちゃん5人いるし。」
「知ってる。」
「1人くらい蒼士郎に貸しても、母ちゃん怖くないだろ?だから一番大きくて強いの連れて来たんだ。」

蒼士郎がぽかんとしていると、燦太はついに喉を鳴らして笑った。

「母さん、今日は非番で家にいるんだ。蒼士郎君のお母さんはこんな日に出勤で可哀想だって呟いちまってさ。その途端、衛士が蒼士郎に兄ちゃん1人貸して来るーって騒ぎ出して大変だったんだ。」
「だって、こんなに怖いのに1人でお留守番とか、クラスで一番強い蒼士郎だって怖いに決まってるだろ?」
「はいはい。兄ちゃんも怖かったよ。」
「ひゃっ!?」

大きく鳴った雷に驚いたえいとを、蒼士郎は抱きとめる。
そのまま、ぎゅっと抱き締めた。

「えいとのバーカ!」
「バカってなんだよ!バカって言った方がばかなんだぞ!?」
「いつもテストで100点満点の蒼士郎君が馬鹿なわけがないだろ?それよりも、蒼士郎君。美鹿と衛士が作ったお菓子を持って来たんだ。みんなで食べよう。」

その日からまお子がいない台風の日は、えいとと高校生以上の兄の誰かがお菓子を持って朝井家に遊びに来て、泊まって行くようになった。
遠慮するまお子を、えいとの母であり、産婦人科に通院している時に仲良くなった一子が「あ?」の一言で黙らせてからは、まお子自ら蒼士郎を乾家に預けて行く事もあった。

「えいと!宿題手伝ってやるから終わったら遊びに行こうぜ!」
「ありがとう、蒼士郎!ろく兄のおやつ半分こしてやるよ!」

蒼士郎とえいとは元から兄弟のように仲が良く、さらに仲良くなり、何より蒼士郎がえいとを大事にしていた。
えいとは色んな人に愛されて育った、天真爛漫な子どもだ。
風当たりの強い環境で育ち、少々思考がすれてしまった蒼士郎は、美鹿の下の兄貴分としてえいとを俗世から守っているのだと思っていたが、小学4年生で間違いに気がついた。
それは何気ない女子の言葉がきっかけだった。

「蒼士郎君ってさ。衛士君の事、好きだよね。男同士で気持ち悪ーい。」

その瞬間、自分が感じた怒りが、同性愛者に間違われたためではなく、同性であるえいとを好きである事を卑下されたためだと、はっきりとわかった。
それからというもの、えいとがよりいっそう輝いて見える分だけ、自分のせいでえいとが蒼士郎の嫁だとクラスメイトに揶揄われるのが可哀想だった。
何より世間体を気にして生きて来た自分が、何より大事なえいとの世間体を悪くしている。
そう思うと怖くて、以前のように素直に触れられなくなり、妙な溝を作ってしまった。

「俺、父さんの出張について行くんだ。」

久し振りの会話がそんな内容で、蒼士郎は頭を殴られたような衝撃を受けたが、えいとは満面の笑みだった。

「いつまでも兄ちゃん達や蒼士郎に頼ってちゃ恰好悪いからさ。都会で男を磨いて帰って来るぜ。」
「いつ?」
「5年生から。」
「違う。いつ、帰って来るんだ?」
「まだ行ってもねえのに?さびしがり屋だなあ、蒼士郎は。」

歯を見せて笑うえいとの目から、ぼろぼろと涙が零れた。

「さびしがり屋はおまえだろ?えいとの、」

蒼士郎はえいとの顔を両手で包むように優しく撫でて、涙を拭ってやった。

「…衛士のバーカ。」

アラームの音で目を覚ました蒼士郎は、スマホを操作して体を起こした。
大事なストラップがイヤホンジャックから抜けかけていたので、しっかりと挿し、写真立てに微笑んでから部屋を出た。
料理の苦手な自分が手伝えるのは、朝食くらいだ。
それが入学式の朝であってもまお子よりも先に起きて、珈琲を淹れ、トースターに食パンを突っ込んだ。
新聞を広げ、日付を確認し、どうしても顔がにやける。
食パンが焼ける音でまお子が目を覚まし、可愛らしい顔が台無しな寝癖をかき回しながら部屋から出て来た。

「おはよう、蒼士郎。おめでとう。」
「ありがとう。」
「ふふ、嬉しそうね。」

まお子は我が事以上に嬉しそうだ。

「衛士君がたくさん勉強をしてくれて、帰って来てくれて、同じ高校に合格してくれて。本当に良かったわね。」
「まあな。」

蒼士郎は素直に肯定し、トーストに齧りついた。

 

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