曖昧な僕ら。


□A面B面
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深夜二時。
この時間帯、流石にエレベーターはどの階にも浮気せず指定した階に止まってくれた。
早く帰りたい一心で部屋の前でのロスタイムを削るために、歩きながらAに子どもよろしく首から下げられた家の鍵を服から引っ張り出す。

風呂入って寝る前にバイトで消費したカロリーを何で補おうか考えてたら、まだ遠い部屋の前に何かいて息を飲んだ。

眼鏡越しに目を凝らせば阿呆間違えたAが気配も薄くお化けみたいに立っていた。

鍵でも忘れたのかな、あの阿呆間違えたあの阿呆。
良い歳こいて情けない人だなと思ったけど、ふと違和感を覚えた。

足元に捨てられた煙草の吸殻一つ分、そこに阿呆みたいに突っ立っていたわけだ。
鍵を忘れた事に気付いた時点であの浮ついたアラサーは回れ右して今夜泊めてくれそうな女の人を脳内アドレス帳で検索し始めるはず。

何故いつまでも阿呆みたいにそこにいるのかを考える前に、Aの足元に気が付いた。

裸足だ。

何してんのあの阿呆間違えたあのおっさん。
何か、何かはわからないけど確実に面倒くさそうだな。
見なかった事にして漫画喫茶にでも行こうかと思った瞬間、Aに睨まれて居竦まされてしまった。

「た、ただいま。」

「遅い。今何時だと思ってんだ。」

「遅いって、バイト先から真っ直ぐ帰って来たんだけど。」

「俺を待たせるな。」

「…。」

まあ良いや。
Aが理不尽なのは今に始まった事じゃない。
そんな事よりも気になる事がある。

「Aこそこんな時間にこんなとこで何してんの?裸足で。」

少し馬鹿にした物言いに目ざとく気付いたのか睨んで来たAは馬鹿力で僕の手首を鷲掴むと部屋に放り入れた。
あまりの勢いと唐突さに玄関を超え廊下まで行きそうになったけど、掃除の行き届いた部屋を汚す事は掃除をする僕としては許せず、反射的に玄関の段差につま先を引っかけて下半身だけ急停止。
勢いが付いたままの上半身に引っ張られ廊下に派手にダイブした。

凄く痛い。
外れた眼鏡が廊下を転がって行く。

今思ったけど、廊下を汚したら掃除すれば良いだけで、何も痛い思いをしなくても良かった。

下の階の人、ごめんなさい。
悪いのは何故かまだ外にいる阿呆なおっさんです。
煮るなり焼くなり刺すなり好きにしてください。
出来れば僕も参加させてください。

「…A、何事?」

「おまえの掃除が行き届いてないせいで黒い彗星が現れた。責任を持って駆除しろ。」

「失礼な。僕の掃除は完璧だよ。何より少し前までゴミ溜めに住んでたものぐさAに言われたくない。」

眼鏡という何よりも頼れる相棒を失った今、涙も相まってぼんやりとする視界で扉を振り返る。

「それより黒い彗星って何さ。」

「ご…口にするのもおぞましい。察しろ。」

「…。」

Aが理不尽なのは以下略。
“ご”から始まる黒い彗星。
そもそも彗星は黒くない。
“ご”から始まる黒い彗星みたいに早い、何か。
駄目だ、まだわかんない。
もう少し思考を広げる。
その何かはAが苦手とするものでああわかっちゃった。

「って、え!?ちょっと!?Aも僕が虫アレルギーなの知ってるよね!?」

「駄目なのはりんぷん系と刺す系だろ。黒い彗星は噛むがその二つに属していない。」

「いやいやいや!刺されても駄目、触っても駄目、そんなアレルギーって知っちゃったその時から虫が僕に与えるだろう未知なる負の可能性のせいで僕も虫全般が怖いんだけど!?」

「俺も怖い。」

「ふざけんな!あんたはアレルギーじゃないだろ!たまには大人の男らしい所見せろおっさん!!」

それっきりAは僕がろくで無しとか甲斐性無しとか意気地無しとか言ってもうんともすんとも言わない。
これは本気で僕がどうにかしなければならない状況だ。

腹を括ろう。
昔は大量に捕まえた彼等を両手に乗せドヤ顔で家族に見せてはドン引きされていた位、虫は大の友達だった。
アレルギーという事を知らない内は虫の形状に格好良さすら感じていたし、黒い彗星は真剣勝負を楽しめる最高の獲物だった。
今もアレルギーが関係なければ別にどうって事はない。

でもまずは視界を確保しなければならない。
それにはあの阿呆の協力が必要だ。

「A。最終目撃地点は?」

「ダイニング兼リビング。テレビ斜め右上。」

「電気は流石に点けっぱなし、と。最終目撃時刻は?」

「10分前。」

「うーん。微妙だな。」

「何が。」

「こけた拍子に吹っ飛んで転がって一足先に単身戦場へと赴いた勇ましいけど無謀な僕の相棒をAに回収してもらうのが。標的がもう移動している可能性が非常に高い。っていうか絶対移動してる。」

「…眼鏡か。」

「うん。」

今、黙っていれば端正なAの顔が絶対引きつった。

「馬鹿なの?おまえ馬鹿なの?この世のどこにこけた拍子に目ん玉飛ばして転がす馬鹿がいるんだよ。それぐらい目が悪りいくせになんで眼鏡死守しとかねえんだ、馬鹿。」

「虫が嫌いなくせに部屋をごみ溜めにしてた人に何も言われたくないんだけど。っていうか僕をこかしたのはAだろ。」

「…。」

「その左右色の違う綺麗な目がお飾りじゃなければ少しだけ僕の目の代わりになってよ。」

暫くしたら一刻も早く退治してもらうためにも背に腹は代えられないAがそうっと顔を出した。
ちなみに相棒が不在の僕の目には金色のモップお化けにしか見えない。

「…いねえよな?」

「だから見えないんだってば。」

知ってはいたけど、Aって本当に虫が怖いんだよね。
そんなアラサー男の恐る恐るな行動が可愛いとか思えてしまった僕は何かの病気かもしれない。

多分、パッと見いない事を確認したAは意を決して中に入って来た。
珍しく差し出された手をとると、Aの手は汗ばんでて気持ちが悪い。
でも立たせるためじゃなく、怖いから繋がれたその手を振り払うのは可哀想な気がしたから、せっかく頑張って入って来てくれた事だし我慢する事にした。

「じゃあ、僕が前を歩くから踏みそうになったら言ってね。」

「おう。」

何が悲しくて深夜に大の男二人が自宅で手を繋いで歩かなければいけないんだ。
僕はスリッパを履いたけどAは外に出て汚れただろう裸足のままで、結局明日は念入りに掃除しなくちゃいけなくなった。
ああ、そもそもバイトで疲れてるしなんか色々残念な夜だな。

なんて事を考えていたら、開けっぱなしのダイニングの入り口付近で殺気。

瞬き一回、Aから解放された僕の手に自由だった方の手でスリッパを履かせ、自由だった方の手にもスリッパを履かせた。


「真剣ゴキブリ取り!!」


なんか自然と出た技名。
スリッパとスリッパがゴキブリを挟んで激しくぶつかり、銃声の様な甲高い音が鳴った。

「齧っただけの剣道がこんな事に役立つなんて、創立者も吃驚だろうなあ。」

見えなくても割りと何とかなるもんだなと片方のスリッパをもう片方に乗せる様に脱ぎ、踏み込んだ時に足に当たったたぶん相棒、…うん、まさしく僕の相棒を拾ってかけた。

振り返れば頭を抱えて縮こまるAが腕の隙間から羨望の眼差しでこっちを見ていた。

「Aって意外と可愛い所あるよね。」

お気に入りのスリッパが駄目になったけど、たぶんこの調子だと明日Aが新しいのを買ってくれるだろうから良しとしよう。
思いがけず役目を終えてしまったスリッパをゴキブリを挟んだままベランダにポイ捨てた。

Aは“ありがとう”なんて絶対に言わないし言われても気持ちが悪いからもう要らないけど、気分的に手を念入りに洗う僕に後ろから無言で抱きついてきた。

持ち主の性格そのままに四方八方に力強くはねまくるAの金色の癖っ毛が、今は怯える猫の耳みたいに萎らしい。

やっぱり僕は病気なんだろうな。

Aという病原体に毒されたに違いない。


ヘタレAと男前B

(あんまりヘタレでものぐさやとその内B君に愛想尽かされるで?)
(また俺んち盗聴してやがるな、C。殺す。)
(別にAの煙草と酒で枯れたドスの効いた声が聞きたいわけやないよ。家事に精を出すB君の可愛い鼻歌がなんか好っきやねん。)
(…あー、やっぱり殺す。)


ゴキブリよりよっぽどAの方が怖いんだけどな。 by B

 


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