曖昧な僕ら。


□欲しいもの
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当時はまだ生物学上の父親にしか過ぎないというか何と言うか、全く実感の湧かない存在だったお父さんが、お母さんとどんな関係だったのか、それは知っていた。
自分の家に父親がいない理由だ。
男勝りで色々豪快だったお母さんはそれを隠さなかった。
僕もそれを聞いて何かを思う事は無かった。

『へえ〜?それよりお腹空いたよう。今日の晩ご飯なあに?』

って流した気がする。
お母さんは優しかったけど、強かに生きろって教育方針だったから、もうその頃には僕も立派に育っていたのかもしれない。
だから経済的に辛くても、夜遅くまでお母さんがいなくても、寂しいなんて思った事は無かった。
ご飯を食べて、布団で寝て、学校に通って、習い事をして、友達と遊ぶ。
それ以上望むものはない。
普通の生活が出来れば満足だった。
流石にお母さんが交通事故で死んだ時は寂しくて死にそうだったけど、迎えに来たお父さんに連れて行かれた環境がお母さんの言付けを思い出させてくれた。

『強かになりなさい。強く在りなさい。欲しいものが出来てから無力を嘆いても遅いのよ。』

二十歳過ぎた今、やっと、それはお父さんの事だったのかなって思う。
あと、いつか来るお別れの日の事だったのかなって。
お母さんのお墓は遠い故郷にあって、お小遣いはいざという時に貯金してたし、新しいお母さんの目もあって、結局お別れの日以来一度も行ってない。
まあ、お母さんは湿っぽいのが嫌いだから今の僕じゃ怒られそうだし、心配されそうだから、自由になった今もまだ行けそうもなくて、問いかける事も出来ないでいる。

 

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