曖昧な僕ら。2
□武闘派眼鏡は伊達じゃない
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このホテルは珍しく、よからぬ職業の金持ちの宿泊の受け入れ態勢が実によく整っている。
Bは新しい煙草に火を点け、深く吸い込み、長く吐き出した。
「どうだ、美味いだろ。糞爺のツラ見た後じゃ尚更な。」
Bは顔を覗き込むAを尻目に、また煙草を咥え、深く味わい、煙をAの顔に吹き付けてやった。
「今も小汚ねえおっさんのツラのおかげで格別にうめえよ。」
煙草を指に挟んだまま手を下ろし、廊下を歩く。
Aがついてくる気配に足を止め、斜め後ろを肩越しに睨んだ。
「何か用か?」
「新しい隠れ家決まるまで泊めろ。」
「やなこった。新聞買ってやるからそれに包まってろ。」
「日本人のくせに恩を仇で返す気か?」
「あんたに貰った恩はあんたの世話で十分返した。他に取引の材料がなければ話は終わりだ。」
「後腐れのねえセ クスを提供できるが?」
「ふん。俺のベッドは日本の領土だぜ?」
Bは犬歯を露わに歪んだ笑みを浮かべた。
「わかりやすく言ってやる。僕相手に勃つんなら考えてあげるよ。」
最後は日本語だ。
瓶底眼鏡の冴えない青年がAの脳裏を過ぎる。
Aの目元が歪み、Bは肩を震わせて笑った。
「悪いな。俺んちは狭いんだ。あんたみたいなデカい男を飼う余裕はない。他を当たってくれ。」
「別に俺はこれからテメエを尾行して部屋を特定して乗っ取ってやってもいいんだぞ?」
「そいつぁ構わねえが、俺はシステムと深いお友達だ。ケツを狙われるなら軍隊と警察、どっちが好みだ?」
「…おまえ、マジで節操無しか。」
「これでも医者だ。セーフティならダッチもディックも変わりゃしねえ。」
Bは体ごと振り返り、煙草を持ったままの指でAをさした。
「ついてくんなよ。システムと友達なのは本当だ。俺みたいな人間にとってこの国は治安が悪過ぎる。その点、システム連中は体も仕上がってるし、“関係を持ってる”と一石二鳥だからな。俺が住んでる所は家賃に馬鹿高い平和税が上乗せされてんだ。近隣住民の下世話な好奇心も刺激したくねえし、灰一つ落とそうもんなら楽園から追放される。」
「俺と住みゃ治安が悪かろうが関係ねえだろ。」
「…。」
Bは短くなった煙草を指先で摘まみ、深く吸い込み、吐き出した。
「Cさんと新しい部屋探せ。」
「馬鹿野郎。なんで俺とあいつが、」
「元彼の目から見て、かなり仲良さそうに見えるからだ。」
「やめてくれ。」
Aは両肩を抱いて震える。
Bの目は「無自覚か」と口程に言っている。
Bは携帯灰皿に煙草を捨て、両手をポケットに突っ込んだ。
「何度口説かれても無駄だ。今の俺にあんたの面倒を看てやれるような余裕はねえ。」
「だったら、」
Bの肩が跳ね、Aの片眉も跳ねる。
Cは腕を組んで片足に体重をかけ、Bの進路を阻んだ。
「清潔で知性的な見た目をしていて、料理も洗濯もできる男なら雇ってくれんのか?」
「Cさんの場合は本命の恋人と勘違いされて遊びにくくなるから不採用だ。」
「ぶはっ!」
Aが吹き出すのも無理はない。
今Bは、C相手では物足りないとはっきりと言ったのだ。
Cの眉間に深い皺が刻まれる。
「ガキが、たった一回のままごとで抜かしやがる。汚名返上の機会は一晩いくらだ?」
「残念、売り切れだ。次の入荷を待ってくれ。」
CがBの顔を覗き込めば、Bは大仰に避けてフードを被った。
Cがまだ腕を組んでいる内にと走り出そうとしたが無駄だった。
通り過ぎ様、Cの長い足に足を絡め取られ、フードを掴まれてやっと転ぶのを堪えられた。
見なくても、Cが美しい加虐的な笑みを浮かべているのがわかる。
「帰りたいのなら送ってやろうか?」
「結構だ。」
「君みたいな可愛い子ちゃんが一人で歩いて帰るには危ない時間だ。タクシーだって魔が差して人気のない路地裏に寄り道してしまうかもしれない。」
「はっ、別れた彼氏に偉そうな態度とられたくねえんだけど。」
「別れたからこそ、どんな態度とろうが勝手だろ?」
Bの掌底をCはかわして手首を掴み、反対の手でBの首を掴んだ。
「俺もそこの脳筋と殆ど変らねえ育ちの悪さでな。首輪が外れりゃただの野犬だ。食い散らかされたくなけりゃ、大人しく皿まで歩いて腹を見せろ。」
BはAの視線に気がついていたが、助けを求めるつもりはなかった。
Cが手の力を抜けば、Bは大人しく歩き始めた。
CはAに目が笑っていないウィンクを残してBに続いた。