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□小さな生き物
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「ねぇ、どうしておにーちゃんの周りに誰も寄ってこないの?」
いつもの夜会。
いつも通りに周りの連中は僕を遠巻きに眺めている。
いつもの贄。
贄という名の贈り物。
いつもと違う贄。
それは永遠の生を手に入れんがためその身を差し出す愚かで浅はかな人ではなく、
多分、「永遠」というものをまだ知りもしないであろう無垢な少女であった。
否、少女という言葉は適切ではない。
頬を紅潮させきらきら輝く瞳でじっと枢を眺める彼女はまだほんの幼子であった。
誰かの声が聞こえる。
─ほら、見てごらん。あの血色いい頬を。
誰かが息を飲んだ気がした。
─皮膚もやわらかそう。きっと血の巡りがいいんだわ。
誰かがこの場にいる者全ての思いを代弁する。
─お い し そ う
そう、確かに、彼女はオイシソウであった。
やわらかな幼子の肌を鋭利な牙で突き破るところを想像し、思わず生唾を飲む者もいた。
「あっ、おにーちゃん、どこに行くの」
その場の空気に耐え切れなくなった枢は小さな手をとり、奥の部屋へと足を進める。
彼にとってはやや急ぎめくらいだったのであろうが、はたから見れば幼子は引きずられるような光景で、
愚かな吸血鬼達は彼が気分を害し奥へ下がったのではなく、
一刻も早く極上の血を味わいたいがため急ぎ去ったのだとしか思わなかったので、
支配者がいなくなったホールは再び熱気を取り戻し、ひと時の甘い時間に身を委ね始めた。
◇◇◇
さてどうしたものか、とソファに座り込んだ枢はテーブルに並べられたケーキを嬉しそうに頬張る幼子を眺める。
何しろ、こんなに小さな子が贄として連れてこられるのは初めてのことで、
第一、贄として与えられる人間は皆自分で希望してのことだったから、
今まではこういったことも自分の役割だと諦め、思考を停止し、愚者の望み通り血を喰らってやっていたのだけれども、
この小さなヒトは自分で仮初めの永遠を希望したどころか“永遠”というものを理解しているかどうかも怪しかった。
「ん、おにーちゃん、これね、おいしいよっ」
満面の無邪気な笑顔で はい、あーん、と言わんばかりにフォークの先に刺さったケーキを差し出され、
枢が突然なことに戸惑い、困ったように微笑むと、
「……おいしいの…嫌い?」
彼女は今にも泣き出しそうに眉をひそめる。
それが何だかいじらしく、元気に明るく、気丈にふるまっていても、何となく不安がすけて見えたような気がして、
枢は口を小さく開けると差し出されたケーキにかじりついた。
「……うん、おいしいね」
「うんっ!でしょでしょっ」
再び満面の笑みが見え、安堵した枢は彼女に尋ねる。
「ねぇ、君はここがどういうところだか、一体僕にどうされるのか、君はどうなってしまうのか、ちゃんと知っている…?」
「んー…わかんない」
「そう…」
理解していない人間、しかもこんな小さな子を吸血するわけにはいかない。
けれど、純血主としての面子を保つため捧げられた贄を返品するなんことも出来っこない。
さあ困ったぞといった風に口元に指をあて悩める少年、枢はためいきを漏らすと、
「あっ、でも、わたしね、一つだけわかることがあるの!」
「わかること?」
「うんっ!ぱぱとままがね、ジュンケツシュサマにね、おいしいの、たくさんあげなさいって言ってたの!
ジュンケツシュサマって、あなたでしょう?だからあなたにおいしいのあげなきゃなの。
いっぱいおいしいのあげる代わりにね、ぱぱとまま、
あたらしいおうちもホーセキもなんでもなーんでも買えるんだよって言ってたからね、だから、」
そう明るく言っていた幼子の表情が曇る。
「だから…ぱぱとままの幸せのために、もうぱぱとままに会えなくても我慢、しなくちゃ…」
しおれた花のように床とにらめっこをし、小さく震えた肩からは彼女が涙を絶えていることがうかがい知れた。
そして枢は理解する。この幼子は売られたのだと。何も知らされることなく、自分達の利のためにだけに。
「…ご家族の元へ帰してあげる」
売られた子に牙をたてることなぞ出来ない。
そもそも、人を金銭で売買するなんてことがあっていいはずがない。
正義感に燃えたわけではないが、普段、自己保身の塊のような人間そしか接していないため、
いい加減うんざりしているところにこういったことがあり、それこそ反吐が出る思いにかられたのだ。
けれど幼子はぶんぶんと首をふる。
「だめっ!だめなの!わたしがいないほうがままたち、しあわせなんだもんっ!」
にらめっこしていた床に涙が落ちた。
「わたしがままたちのために出来ること、これしだけかないいんだもんっ!」
「けど…」
「わたし、ちゃんといい子にお手伝いするから、ねっ?ちゃんとおいしいの食べられるようにお手伝いするから、ねっ?」
自分の足にすがりつき、涙をぽろぽろこぼしながら必死に懇願されると
何だか親元に帰すよう手配するのがひどく残酷なことに思えてしまい、
彼女を抱き上げて目線を合わし、これが本当に正しい選択なのだと胸をはって断言できたわけではなかったのだけれど、
「じゃあ…よろしくね?」
「あ、ありがとうっ!」
こうして、枢と幼子との不思議な同居生活が始まったのである。