□心縛り
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彼女はいつも笑顔を絶やさなかった。

「空があおいね」

見上げた空は高く高く、どこまでも高すぎて、無性に悲しさがこみ上げてきたけれど、
でも彼女は幸せそうに笑っていた。

「今日は誰もいないのよ」

僕を家に招いてくれた彼女は甘美にそう囁いた。
瞳を熱っぽく潤ませていたけれど、妖艶な声音とはほど遠い、慈悲深い微笑みを浮かべていた。

「本当はね、ずぅっと誰もいないの」

見下ろした彼女は額にじっとりと汗を浮かべ、ベッドが軋むたび、絡めた指に力を込めながら笑っていた。

「本当はね、私、ずぅっとさみしかったんだ」

一緒にシーツにくるまりながらそう言われると、
どうしてだか 誰でもよかったの そういわれてるような気がしてならなかった。

だから僕は逃げ出した。

 さようなら

そう言って、振り返りもせず立ち去った。
後ろから彼女の声が聞こえた。

 またね

僕の背中を見つめながら、きっと微笑んでいたんだと思う。
慈愛に満ちた、あの笑顔。

僕は彼女の笑顔を見るたびにひどく不安な思いにかられ、そして悲しくなった。
だから、あの笑顔をもう見ることはないのかと思うと、ほっと安堵すると同時に寂しくもなった。


気がつけば無意識に彼女の姿を探すくせが出来た。
空を仰ぎたちすくむ少女。
店の軒先の下、雨宿りをする少女。
水溜りに映った虹を覗き込む少女。

彼女達は困ったように、やりきれない悲しさを隠すように微笑んでいたけれど、
でも僕の求めるあの子ではなかった。

人の雑踏の中にも、雨あがりの森の奥深くにも、教会の裏手にある墓地にも、どこにも彼女はいなかった。

彼女は夢のような存在だった。
もしかしたなら、夢そのものだったのかもしれない。

僕は後悔する。
どうして、あの時彼女から離れてしまったのだろう。
どうして、彼女の心まで抱いてやらなかったのだろう。
どうして、どうして、どうして、僕は。

空虚な心を抱いたまま数年が過ぎ、ある日ふと気がついたことがある。
路地裏にある小さな店のショーウィンドウに飾られているそれは今までこの目にした何よりも彼女に似ていた。
看板はなかったけれど、多分、人形を取り扱う店であるのだと雰囲気からうかがい知ることが出来た。

僕はわらにもすがる思いで扉を開く。
店主らしい男は無言だったけれど、温かな瞳で僕を迎えてくれた。

店内は薄暗く、郷愁を誘うような音色のオルゴールが鳴っていて、
想像通り幾体もの人形が飾られていたのだけれど、どうしてだか人形たちの顔は皆同じだった。

その理由を尋ねようと再び店主に視線を戻せば彼はショーウィンドウに飾ってあったあの人形を持っていた。
彼は何も言わずに差し出すし、人形の顔が同じ理由を聞いても仕方ない気がして、
代金を渡し早速その人形を貰い受けようとすれば首を横にふられ拒否される。

「御代は頂戴いたしません。ただ、お願いがございます」

彼の願いは至極明快だった。
いつかこの人形と同じ少女を見つけたら、必ず報告することが代金の代わりだそうだ。

「……わかりました」

そういえば、店内で流れるオルゴールは彼女がよく口ずさんでいたメロディによく似ていた。
伏せ気味な瞳のくせ、幸せそうに微笑む口元も、
何を考えているのかよく分からない蒼い瞳も、
一緒にいるとたまらなく悲しくなってくる透明な空気感も、どの人形も全て彼女によく似通っていた。

主の男もどことなく空虚であった。
きっと、僕も彼と同じなんだろう。
彼と同じに、空虚な心を満たすため彼女を探し求めているのだろう。
いつの日か、自分から手放してしまった彼女を求めて止まないのだろう。

僕は自分を憐れだと思ったことはないけれど、店主のことは憐れだと思い、愚かだとも思った。
店主が愚かなら、僕も愚かなんだ。
けれど、どうしても憐れだとは思いたくない。

ヒトを愛するということは愚かなことかもしれない。
でも、憐れななんかじゃない。
そう、僕は彼女を愛している。
だから、彼女を見つけ出さなくては。
彼女を迎えにいかなきゃいけないんだ。

彼女の抜け殻みたいな人形たちに囲まれて、他者に彼女を探させる男に愛なんてない。
だから彼は憐れで愚かなんだ。
だから僕はただの愚者なんだ。

僕は、ただ愚かなだけなんだ。




◇◇◇




毎週、懺悔室に通う男がいる。
彼は美しく整った身なりに似合わないみすぼらしい人形をいつも抱いていて、
巷の噂では異常者とか人さらいだとか言われてるらしい。
彼がこの村に来たのは三ヶ月ほど前。
確かに、それ位から行方不明になる者が少なくは無い。
でもこの季節に行方不明になる者は毎年いる。
大抵、駆け落ちや都会に憧れ人知れずこの村を出て行くだけだ。
そして、恋に破れたり夢に挫折した頃、戻ってくるのが半ば慣わしにようになっている。

それに、私はついたて越しに聞こえる彼の声音の優しさから、到底噂通りのことを出来るような人物じゃないと信じている。
彼は繊細で、ぼろの人形を捨てることも出来ない心優しい人物に違いない。

私はそう思いたい。
そう、思いたくて仕方ない。

村で噂の彼。
村の外れに住む、美しく暗い影を背負う青年。
彼は闇夜迫る夕刻、ふらりと教会にやってきては罪の告白をしていく。

どうやら彼は、長いこと一人の女性を探しているらしい。
彼女の手を離してしまった自分を悔いているらしい。
私は彼の懺悔を涙無しに聞くことが出来ない。

彼が、自分が吸血鬼だと告白した日があったけれど、私はさして驚かず、むしろ安心さえした。

己の寂しさと向き合えず、彼にすがり、そして色々な男にすがり、
彼がいなくなって初めて一番大切だったのだと気がついた私は、
あれから何十年もたち、当時とさほど変わらない姿の彼を見た時、私を恨み亡霊と化してしまったのかと思ったから。

でも、亡霊と変わらないのかもしれない。
彼は今だ私を追い求めている。
いつか、少女だったわたしを。

これは罰なの。
彼を傷つけた、私への。

ついたて越しに聞く懐かしい声。
私は涙せずにいられない。
汚い私はマリア様のようにはなれないけど、
でもせめて、
せめてあの慈愛みちた微笑みを浮かべていようと思う。

たとえ彼に私の姿も声も見えなくたって聞こえなくたって、私は笑っていたい。

彼の傷が癒えるまで、笑っていたい。

悲しくても、苦しくても、笑っていたい。

あの時、誰にでもふりまいていた笑顔じゃなくて、
彼のために、枢のためだけに、笑っていたいから。






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