□夢見鳥
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君と再会したのは随分久しぶりだった

もうどれくらいたつのだろう

君が転んで膝に擦り傷を作って、それを介抱してあげてからどれくらいたったのだろう

幼いあの日
はえかけの白い牙
幼女ながらにどこか妖うい魅力を放つ君


そのあと僕は引っ越してしまったから
それ以来会うことはなかったわけだけれど

またこうして会えるなんて

再会するまで僕は君の思い出と、色褪せぼんやりとした記憶にだけすがっていた

でもこうして会ってみると
たった一度きりしか会ったことがないというのにも関わらず、
まるで静かな湖に石を投げ込み、水が震え波紋が広がるように
まるで昨日出会ったばかりのように
それはそれはいとも簡単に鮮やかな色を伴って記憶が蘇る

風に吹かれあらわになった白いうなじも
耳のうしろに見えた小さなほくろも
唇を開くたび、こっそりと姿を見せる生えかけの小さな牙も
擦りむいてしまった膝に滲む赤い血も
そして血の匂いも
僕の本能を指の腹でそろそろと撫であげるその匂いが
どうしようもなくあふれて
鮮明な記憶であふれかえって 心は決壊寸前



「あの時はまさか包帯を巻いてくれた男の子が枢様とは思いませんでしたわ」

うっとりと光悦にひたる脳髄に響き渡る声。
枢はその声にはっと我を取り戻すと、目の前にいる人物をまじまじと気取られないように凝視する。

夜会、火照った頬の熱をとろうと誰に気がつかれるもなく庭園に出てみれば、そこには思わぬ先客がいた。

一度しか会ったことのない幼女。幼女は成長していた。
しかし大人の女性というほどでもない。
少女と女性の間に揺れる刹那の美を謳歌しているようであった。
髪をかきあげる仕草に目を細め、注意深く観察すると耳の後ろにはやはり小さなほくろがあった。

枢にはそのほくろがどうしてだか、とても羨ましく思えた。
いつもは柔らかな髪に隠れ、きっと彼女自身も知らないであろうそのほくろを羨ましいと思った。
そのほくろは彼女さえ知られざる秘密に思えたのだから。

「枢様?」

「あ、うん…」

枢が黙り込むと、娘は微笑んだ。自信に満ちた表情である。
多分、自分が美しく、そしてその美しさの前に彼がしどろもどろになっていると自覚しての微笑みであろう。
そして悪戯に枢の瞳を覗きこんだ。
彼の心を見透かすように、悪戯っぽく微笑みながら枢の瞳を覗きこんだ。
もしかしたら彼の心を覗くというよりも、闇をのせた緋色の瞳に映る自分の美しさを確認したかっただけかもしれない。

妖艶な娘に見つめられ、どきまぎと視線をさ迷わせる枢は、早鐘を打つような心臓とは裏腹に思考は冷静であった。
冷静に冷静にひどく冷静に思考していた。
目の前にいる女がどうしても欲しい、と思考していた。
永遠に自分だけのものにしたい、何もかもから奪ってしまいたい、この世から、生からさえも、そう思考していた。

彼は彼自身にも知りえなかったのだが、どうやら嫉妬深いという一言だけでは足りぬほど病的に嫉妬深かったらしく、
今彼女を生かしている全ての要素に嫉妬していたのだ。

そしてその嫉妬は全身をずりずりと這いずり回る。
脳から神経を伝い、肩、肘、手、指先へと命令が下される。

彼の指先はほんの一瞬ぴくりと震え、娘がそれを悟る暇さえなく、次の瞬間には彼女の首をとらえていた。
両手でやすやすと包みこめてしまうか細い首は温かく、皮膚の奥では脈が生を刻んでいる。
枢は一心不乱に脈を押し殺そうと手、指先にありったけの力をこめる。
娘は怯えたような目をしていた。
枢が力をこめる。脈は徐々に弱くなり、いつしか糸がぷつりと切れるように途絶えた。

生から解放された娘の瞳はもう怯えておらず、無感情に天を仰いでいる。
皮膚はまだ温かい。枢は安堵のため息を吐き、そっと手の力を抜くと支えを失った娘の亡骸は彼にもたれかかった。
ぐったりとした娘は彼に抱擁され、やはり虚無の瞳で天を仰ぎ続けていた。




◇◇◇




さて、思い通りに娘に断りも無く勝手に生のしがらみから解き放った枢であるが、彼は今悩んでいた。
娘は命尽きるとともに灰に戻り風にのって消え失せるはずであったのに、亡骸は形失うことなく彼の腕に抱かれるばかり。

どうしたものか、このまま放置するわけにはいかない、焼いてしまうか、埋めてしまうか。
彼女がこの世にいたという記憶は自分の中にだけ留めておきたい、
誰も見たことがない彼女の最期は自分の心の中にだけしまっておきたい、
彼女は自分だけのものだ 記憶も温もりも永久に自分だけのものだ、
奪ってやった、彼女を生かす全ての要素から奪ってやったのだ、そう思った枢はひたすらに亡骸の処分方法を考えていた。

そんな彼が何気なく娘に目をやると、唇がだらしなく開かれ、鋭利な牙と赤い舌がのぞいていた。
乳飲み子のようにふっくらと滑らかな肌は青ざめ、
死人にしか作り得ない、暗く誰にも踏み込めない領域といった雰囲気をかもしだしている。

嫉妬深く、それでいて歪んだ独占慾を持ち合わせていた枢はどうしようもなく魅せられた。娘の屍に魅せられた。

誰も見たことが無い 知らない 彼女のこんな姿は誰も、彼女自身にさえ知るよしもない、
あの小さなほくろがひっそり彼女に住まうていたように、秘密だ 自分しか知らない秘密なんだ、
と枢は自分の心が満たされ、目の前の亡骸が甘美な蜜を垂れ流す熟れた果実のように感じた。

情が湧けば開いた唇は少々間抜けに見え、それは可哀想だと思い顎を押し上げ口を閉じてやる。
しかし枢が顎から手を離せばまたガクンと落ち開かれる唇。
二度、三度と繰り返し顎を押し上げてやればようやく上下の唇が重なった形で固定され、生前の彼女のように美しく微笑んでいた。

彼は満足げに頷くと娘を抱きかかえ、夜闇をまとい庭園を越え屋敷への帰路を辿る。
月明かりがどこまでも追いかけてくるようで、枢はそれに娘をとられてしまうのではないかと危惧し、腕に力をこめ、
背後から聞こえてくる音楽、笑い声、熱気、夜会そのものに耳を閉じ、二人以外の世界そのものに心を閉じた。



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