Birthday

□まったくお前は我が弟ながら
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こんにちは。平古場姉です。
今日はウチのアホ弟について語りたいと思います。


アホ弟こと平古場凜は、十五年前の三月三日、沖縄県立南那覇病院産婦人科にて、その産声をあげました。私は当時まだ四歳だったので、よくは覚えていませんが、父も祖母も涙を流して喜んでいたような気がします。
この弟が将来とんでもない野郎に育つことなどもちろんまだ知らない私は、手放しで弟の誕生を喜んだ記憶があります。あの時の私よ、なんて純粋なんだ。

弟はすくすくと育ち、やがて小学生になりました。この頃はまだまだ可愛らしい子供だったのです。小学五年生の私は、毎日弟と手を繋いで登校していました。弟は私の友達にも人気で、それはそれは可愛がられていました。
弟が可愛くなくなるのは、このあとからです。

私は中学生になり、弟は小学三年生になりました。私は友人達に度々「ウチのバカ弟が、」と漏らすようになっていました。ウチに帰れば喧嘩、外で会っても言葉は交わさず、まあ、仲が悪かったわけではありませんが、良くもありませんでした。普通の兄弟ってこんなもんでしょ?

その頃です。おばあちゃんが入院したのは。

冒頭でも言ったように、凜は根っからのおばあちゃん子です。私に反発してもお母さんに反発しても、凜はおばあちゃんの言うことなら何だって聞きました。おばあちゃんもそんな凜が可愛かったのでしょう。いつもいつも「凜くん、凜くん」と言っていました。
そのおばあちゃんが少々体調を崩し、入院してしまいました。その年の夏は特に暑かったので(沖縄はいつも暑いけど)、いくら七十年近く沖縄で暮らしていても、老体のおばあちゃんには辛かったのでしょう。

おばあちゃんが入院したその日の夜、お父さんとお母さんが病院に泊まり、私と凜は家で留守番をしていました。小学生の凜はそれはそれは心細かったのでしょう。私は凜の発言に驚きました。

「姉ちゃん、…一緒に寝てもいい?」

正直、笑いを堪えるのが大変でした。あのくそ生意気な弟が、こんなに弱々しく、まさか一緒に寝ようなんて。

「、いいよ。おいで。」

私は布団を広げると、極力優しく、凜を招き入れてやりました。同じ布団に入るなんて、何年ぶりだったっけ。私は凜の頭を撫でてやりながら、そんなことをぼんやりと考えていました。
翌朝、お母さんからの電話で、おばあちゃんの容態を知らされました。

「軽い熱中症だったみたい。あんまり大したことないみたいだから、二、三日様子見て、すぐ退院できそう。」

その旨を凜に伝えると、凜は半べそをかきながらようやく安心したようでした。その時私は久しぶりに、弟を可愛いと思ったのでした。いや、凜には絶対に言わんけど。




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