炎の蜃気楼 小説

□子供みたいな大人の仕草
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「約束しましょう」



部屋の中に、ココアの甘い香りが広がる。



「何んだよ?」



コップの中で緩やかに弧を描く様子を眺めながら、愛しい人の声に耳を傾けた。



「これから二人で仲良く暮らすためにです」



人差し指を立てて小難しそうな顔をしてみせる直江に笑みで返した。



「あぁ・・・・で、何?」

「私達の事ですから、絶えずケンカをするでしょう」

「だろうな」

「そんな時でも、ちゃんとこの家に帰ってきて下さい。ケンカして飛び出した時でも、気まずくなっても、ちゃんと戻って来て下さい」

「・・・努力はする」



前科は、たくさんある・・・。

そのために直江が釘をさしたくなるのは分かるが、正面きって約束されたことはなかった。いつも怒らせていたり、呆れさせていたりしたからもう慣れたものと思っていたのだか―



「高耶さん。愛しています。貴方の怒った顔も拗ねた顔も泣き顔も全部が愛くるしい」



 そっと直江の指が高耶の頬に触れた。真面目な顔で告白されると自然、顔が赤らんでくる。



「やめろよ・・・・はずかし・・・」

「いいですね。突然、居なくなる様な事はしないで。約束して下さい」



目線を外さないでじっと見つめられると、まるで直江に叱られているような気がする。


しぶしぶ、力なく頷いた。



「・・・もし家出したら?」



ちょっと、聞かずにはいられない質問をしてみせた。



「泣きます」

「うそつけっ!」

「本当ですよ。悲しくて寂しくて泣き続けますから。自殺したら高耶さんのせいですからね」



大袈裟に悲観ぶってみせた直江だが、充分に高耶は理解した。



―直江は嘘を言っていない。



こういった話の合間に煙草を一本取り出し指に挟む仕草をする時の直江は、余裕がない証拠だ。

まるで落ち着きのない子供みたいな大人の仕草に高耶が、苦笑してみせた。



( 直江に悲しい顔はさせたくないしなぁ)



「分かったよ。約束する」



途端に直江が満面の笑みを浮かべた。

思わず出た直江の素の顔に、高耶が満足げに微笑み返す。



「お前もちゃんと守るんだぞ」

「はいっ。神に誓って」

「毘沙門天に?」

「そうですね。毘沙門天様の前に貴方に誓います。必ず幸せにします。貴方を愛し続けます」



ありきたりな言葉だけど愛しい人から言われると嬉しくて泣きたくなってしまう。

心が満たされるとつい、いつも言えないでいた言葉が高耶でさえためらいもなく言えてしまう。



「お前がいれば、それだけで俺は―・・・・」












日本人なら誰もが心和む景色の一つ「桜吹雪」


真新しい境内を包むかのように植えられている桜の木は、樹齢が分からないほど老いている。

だが、ゴツゴツした枝からは想像を絶する見事な花を咲かせていた。

地底から水を汲み上げている手水舎の滑らかな音が春の訪れをささやかに告げている。



「えぇ、分かりますよ。ですけど兄さん、出来ないことは出来ないんです。そういう約束でしたじゃないですか。新人の教育も上に立つ者の力量が計られるんですよ。しっかりして下さい」



外の穏やかさと違って、少し険悪な空気が家内に漂っていた。



「・・・なおえ?・・・・」



ロールスクリーンの隙間から入ってくる朝の光に照らされながら目を擦った。

そろそろ、愛しい人が温かい珈琲を持ってきてくれる時間のはずなのだが・・・



「そちらで何とかして下さい。私は手伝いませんから」



微かに聞こえてくるトーンを落とした直江の声に、だるさが残る体を起こした。不安な面持ちで廊下に出るとリビングの中にいる直江の影を見つけた。



(あぁ・・・・・ねーさんは、昨日帰ったんだっけ・・・)
 



この家に越してきて三週間目になろうしている。その間、家具や荷物の整理などで綾子と色部が泊りがけで手伝いに来ていたのだ。



(二階も掃除しないとな・・・・)



色部は初日だけだったが、綾子は昨日まで居候していた。

おかげで客室用の二階の一室は、すっかり綾子専用ルームと化している。



「長谷の方に父さんが?いいえ、まだ俺は。ええ、そうですね、近いうちに」



(早速、呼び出しかな・・・・)





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