その他パラレル

□Stigma - 聖痕 -
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2. 兄  弟



「ユゥイ!来てたの」

途端、ファイの声から警戒の色が消える。

「うん!」

玄関口まで駆け出てきた少年は、そのままファイに転がり込むように抱きついた。
胸元に頬を摺り寄せ、笑みを深める。
愛しげにその子どもの頭を撫でるファイの様子から、大体の察しがついた。

「なぁに、何かあった?」

のんびりした口調で柔らかな表情を浮かべたファイは、自分に抱きついて離れない相手の顔を見ようとやんわり腕を外させる。
すると少年は拗ねたような上目使いでファイを見上げながら

「何もなかったら来ちゃいけない?」

と返し、自分の頭に優しく置かれたファイの掌に懐いた。


俺はしばらく無言でその光景を眺めていたが、ふと思い出したように振り返ったファイに、そこでようやく彼の「弟」を紹介されることとなった。

「黒たん、この子オレの弟なんだー。ユゥイっていうんだよぅ、可愛いでしょ」

兄にぺったりと張り付き直した弟は、無言のままこちらへ軽く会釈してくる。
何となく居心地の悪い思いを抱きつつも、

「で、こっちは黒たん!オレのお友達だよー」
「くろがねだ!変な覚え方されたら困る」

一応きちんと名乗ってから、一つ咳払いをして間を繋いだ。

ファイは、このおにーさんとは高校入ってからずっと一緒なんだよ、こんな顔してるけど噛み付いたりしないから大丈夫だよ、などと弟に俺の説明をする。
すると、じっとこちらを見上げていた弟は、するりと兄の服の裾を放し、俺の傍へやってきた。

「…ねぇ」
「なんだ」
「ファイのどこが好きなんですか」

唐突な質問に面食らった俺が固まっていると、ユゥイは子ども特有の意地の悪い笑みを浮かべて、俺を下から掬うように見上げてくる。
その仕草にさらに閉口していると、自分の兄と同い年である俺を見遣りながら、今度は

「…へぇ、」

などと何やら解ったような顔で呟いた。
初対面の、しかも随分と年下の相手にどう接したらいいのか分らず、表情には出さぬまでも困りきっていると、横からファイが助け舟を出してきた。

「ユゥイ、年上をからかっちゃダメでしょー」
「だって」
「ん、オレの言うこと聞いてくれないの」
「…………、」

兄に、少しきつめの口調で言われて弟はようやく黙った。

「ごめんね黒たん。ユゥイって初めて会う人にはいつもこう…突っかかっちゃうんだよねー」

そう言われてようやく落ち着いてきた俺は改めて、ファイをそのまま小さくしたような彼の弟の顔をまじまじと見つめてみる。
兄に少々きつめに言われたのが効いているのか、俯いたまま大人しい。
そんな弟の頭を再び優しく撫でながら、ファイは俺に向かって微笑んだ。
少し寂しそうな笑顔だった。

それから少し間を置いて口を開く。

「黒たん…、今日はその…なんて言うかー…」

瞬間察した俺は、一つ頷くとその言葉の後を引き継いだ。

「ああ、今日は帰る。また明日な」
「…ごめんねぇ」

本当に済まなさそうな顔をするファイに軽く手を上げ、気にするな、と言外に告げると、来る途中コンビニで買ってきたものを袋ごと手渡す。

「俺には食えないからな。あとでお前らで食え」

甘い菓子の入っていることを知ると、ありがとう、と、いつもより素直な返事とともに俺の気に入っている柔らかな、嘘のない笑みが返された。
俺はそれを見届けると、ひとつ頷き踵を返す。
玄関のドアを閉めようとしたその時、しかしそれまで大人しく兄に頭を撫でられていたユゥイが急に身を乗り出してきて、いきなり俺の片腕を掴んでこう言った。

「待ってくろがねさん、ねぇ、あなたはファイのことどこまで知ってるの」
「……あ?」
「ファイから僕たちのこと、どこまで聞かされてるのか、って聞いてるんですけど」

単なるケンカ腰とも違う真剣なその声に、思わず俺は帰りかけていた身をもとへ戻してユゥイに対した。
しかしそうしてしばらく無言で立ち尽くす俺を見上げているうちに、彼の表情は曇り、声には失望の色が濃くなった。

「なんだ、知らないんだ、何も」
「…………、」

やはり意味が解らず、ユゥイの顔を見下ろし眉間の皺を深める。
彼は心の片側では確かに失望しているようなのに、口もとには薄っすら笑みさえ浮かべてこう言った。

「僕たち、片親しか血、繋がってないんですよ」



初めて逢った彼の弟だという少年の口から、さらに初めて聞かされる事実。
それは俺の耳には届いたが、意味を理解するまでにはしばらく時間が必要だった。


「ユゥイ!」

先ほどよりずっと鋭い口調で、ファイは弟を押しとどめた。
対するユゥイは、言いたいことは言ったとばかりに今度はくるりと兄の方に向き直ると、そのまま兄の胸に飛び込み、その薄い背に両腕をまわしてぎゅっと力を込める。

「こんな人にファイはまかせられない!」

その短い叫びの中に込められた、拒絶の意思の大きさに圧倒された。
彼らの間に、自分など到底入り込めない強い絆の存在を見た気がして、俺は次に言うべき言葉を見失う。

「黒たん…またあとで連絡するから…、今は…此処で…、」

弟を胸に抱いた格好のまま、これまで見せたこともないような苦しげな表情でファイはそう言い、何も言えずにただ頷いた俺の前で、まるで他人ごとのようにあっけなく、部屋のドアは閉まった。





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