その他パラレル

□Lotus U
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「黒鋼、お前がいつか剣技で俺を追い抜く日が来たら、そうしたらこれをやろう」
「…これは?」
「代々この家に受け継がれてきた宝刀だ」


柄(つか)の部分に見事な細工が施されたそれは、父の手もとで鈍色(にびいろ)の光沢を放っていた。


「綺麗だな」
「ああ。だが、綺麗なだけじゃないぞ。・・・少し下がれ」
「…?」


首を傾げた息子が一歩退くのを待ってから、父はすらりとその剣を抜いた。
作られてからもうどれほどの時を経てきたのか知らないが、それは鋭い切っ先に白銀(しろがね)の光を纏って黒鋼の目の前の空を切る。
初めて見る真剣の厳かな存在感に、肌が総毛立つのがわかった。


「名を、銀竜という」
「……銀竜…、」


誇らしげに、その刀の名を口にした父の横顔。
自信に溢れ、しかし決して奢ることなく優しさをも知るその男の横顔に、幼い黒鋼は憧れていた。
ゆっくりと、再び鞘に納められていく白銀の光を目の奥に刻みつけるように見つめながら、少年は小さな拳を握り締める。


「…いつか…、いつか俺のものにしてみせるぞ!」
「ああ、その意気だ」


頭上に置かれた温かな掌と、満足げに自分を見下ろす父の笑顔につられ、黒鋼にも自然、笑みが浮かんだ。


遠くから母の呼ぶ声がする。
そろそろ夕飯の時刻だろうか。


「呼ばれてるな。行くか」


父にうながされ、大きく頷きながら踵を返す。
道場の床の、乾いた板張りが素足に心地よかった。
それを軋らせて母のもとへ走る。


「先に行ってるぞ、親父!」


振り向きざまにそう言えば、宝刀を未だ腰に携えたままの格好でひとつ頷く父の姿があった。
走り出す息子の背を、静かな笑みをもって見送る。

今日の夕飯は何だろうか。
心地よい疲れと空腹に、小さな身体は全力で母のもとへ走った。
優しい母の笑顔が待つ母屋へと走る足取りは不思議と軽く宙を踏むようで、先に見えてくるはずの母屋は走るほどに遠ざかる。
徐々に現実味を失う周囲の色。
意識は徐々に瞼の裏へとかえってゆく。













「…おはよう黒さま。よく眠ってたね」


穏やかな声色が頭上から降ってくるのに、黒鋼は眉間に皺を寄せながら重い瞼を上げた。
そのまま見上げれば、午後の陽射しを緩やかに遮る薄手のカーテンを背にした、ファイの顔が見える。
休日。ソファでいつの間にやらうたた寝をしていた黒鋼のわきで、床に膝をついてこちらの様子を眺めるファイの微笑みに
黒鋼は無意識のうちに安堵の溜め息をついた。


「何か懐かしい夢でも見てた?」


空調の効いた室内、ファイの声は黒鋼の耳に静かに届く。

何を言ったわけでもない。
なのにファイという人間は、時折相手の心の内を見透かすような言動をしてみせる。
数ヶ月をともに暮らして、なんとなくそれにも慣れたつもりでいたが、こうして不意打ちを食らうと
さすがにまだ、動揺を隠せないこともあった。
上から軽く見下ろしてくる視線はあくまでも柔らかく、その問い掛けに詰問の色などありはしない。
それでも、あの懐かしく褪せぬ風景を夢に見たあとでは、素直にファイの瞳を直視する自信がなかった。

黒鋼はもう一度静かに目を閉じ、そうだな、とだけ返す。
するとファイはそれ以上その話題に触れることはせず、ただそっと黒鋼の額へ手を伸ばすと、
ゆっくり相手の髪をこめかみから後ろへ撫でるように梳いた。
黒鋼が何も言わずにいれば、そのまま幾度となく髪を梳く。
まるで子どもをあやしてでもいるかのような仕草にやや擽ったさを感じないでもなかったが
あんな夢を見たあとだからだろうか、何故か無性に純粋な愛情に触れていたいと願ってしまって困った。






「仲のいいことだね」


どのくらいそんな擽ったくも懐かしい時間を過ごしたろうか。
ふと声のした方へ目をやれば、いつの間にやらリビングの扉前に佇むユゥイの姿があった。
第三者の目から見れば、その時ソファに居た二人の姿は、男同士であることを除けばまるで恋仲にでも見えただろう。
しかし普段からスキンシップ過多の兄を持つ手前、ユゥイもこういったことには慣れたものだ。
少しも怯むことなく、片手を腰に宛がい溜め息混じりに二人を眺めやる。
もう片方の手に近所のスーパーの袋を抱えているところをみると、どうやら食材の買出しに行っていたらしい。


「ユゥイ、おかえり!」


す、と立ち上がって弟に駆け寄ったファイは、満面笑顔で相手の頬に軽くキスをした。


「ただいま、ファイ」


お返しにと兄の額にキスをしてやれば、兄はそのままするりと弟の手からスーパーの袋を受け取る。


「ついでに買い物してくるなら、連絡くれればオレも行ったのに。独りで重かったでしょ」
「そうでもないよ」
「…ん…、この魚、なぁに?」


ごそごそと袋の中を覗きながら、ファイが珍しそうな顔をしてユゥイに尋ねた。
先に立ってキッチンの方へ向かいながらシャツの袖を捲くり上げていたユゥイは振り返りざま、やや面倒臭そうな顔をして答える。


「ああ、夕食用にね。…今夜は赤魚鯛(アコウダイ)の煮付けにするから」


好きだろう、と、ユゥイに視線だけで問われれば、頷くよりも先に、問われた黒鋼が少し驚いたような顔をした。
途端、ユゥイの方が急に眉を顰めて目線を逸らす。


「この間熱を出して寝込んだとき迷惑掛けたお礼だよ」


無愛想に早口で言い捨てる様子は、ただ単に照れているのだ。
黒鋼は、相手のこうした感情の起伏を見極めることにも、だいぶ慣れてきたと自負している。
照れたユゥイは既に黒鋼の答えなど待たずにさっさとキッチンに入り、ファイを呼ぶ。
ビニールの袋を抱えたファイが楽しげにそちらへ向かうと、兄弟で何やら夕飯作りの手順を話し始めたようだった。
何か手伝うかと訊けば、案の定、バツの悪そうな顔をしたユゥイに向こうで遊んでいろと追い払われた。
仕方なく黒鋼がいったん席を外せば、キッチンに肩を並べた兄弟は早速食材を取り出し、各々の作業を始める。
そうしてしばらく黙々と手を動かしていたファイだったが、ふと動きを止めて隣の弟の横顔へ目線をやった。


「…なに?」


不思議そうな顔をして兄の顔を見返すユゥイだったが、次に兄の口から出てきたセリフについ、継ぐべき言葉を失った。





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