What is
CesareBorgia.
15世紀にスペインからイタリアに渡ってきた、ボルジア家のロドリーゴは権勢欲の強い男。
金の力で、「法王」というヨーロッパでトップの地位をつかみました。
チェーザレは彼が妾(めかけ)に産ませた子供です。
実は聖職者は結婚も子供も禁止されていたのです。それで庶子(私生児)という扱いしかなかったわけです。
それゆえに父ほどの地位を望むべくも、彼には生涯法王になる可能性はありませんでした。
野心があり、かつ聡明なチェーザレは父の法王という地位を利用しつつ、自分なりにイタリア全土を自分のものにすることを計画しました。
当時イタリアという国はなく、小さな国が集まっていて、隣国フランスやその他の国にいつ襲われるかとハラハラしつつ、お互いに争っているという状態でした。
チェーザレはそんな小国をまとめて「イタリア」という一つの国にすべく、戦いののろしを上げていった男です。
チェーザレは、いくつもの悪の香りたち込める伝説を残しています
絶世の美少年で、やはり美女である妹ルクレィツァと近視相姦の関係を持っていた。
ルクレィツァを3回も嫁にやり、政治的に利用しながら男の利用価値がなくなればさっさと殺してしまった。
弟のホアンが父に深く愛されていることに嫉妬し、めった刺しにして川に捨てた。
ボルジア家に伝わる毒薬カンタレラを使って、気に入らない人間は次々に殺していったといわれています。
(すべて真偽は明らかではない。)
好色・残酷・強欲さで人々はチェーザレを恐れていました。
―1501年
チェーザレがヴァチカンで祝宴を催した際は、50人もの娼婦を呼び、全裸で蝋燭を持たせ、法王が投げる炒りたての栗を取りあいさせたといわれています。
もちろんその後は酒池肉林のパーティーで、兄を熱愛するルクレィツァも全裸になり父の投げる栗を拾って参加し、その後兄に身体を任せたとも言われています。
好きに生き、順風満帆のように思えた彼の人生が一変したのは29歳のときでした。
あともう少しで、イタリア全土を平定できるという時に、チェーザレは父と共に、アドリアノという枢機卿の屋敷へ行きました。
そこで飲んだであろう水にあたってしまったのです。
一説にはアドリアノに盛ろうと用意していた毒薬カンタレラ入りの水を従者の手によって間違って飲んでしまったのでは、といわれています。
年老いた父は手の施しようもなく死亡。
チェーザレは瀕死の状態時から立ち直りましたが、(生きたメス騾馬の腹を裂いて、その臓物の中に身体を浸すという解毒方法を取ったといわれています。)生前の美貌をすっかり失ってしまいました。
そこから先はチェーザレは運も失い31歳の若さで戦地で死亡します。
(KERAマニアックスより)