西尾維新:CP
□短編集
2ページ/3ページ
桜吹雪に隠れたカオ
平日の昼下がり、ぼくは例の高級マンションに来ていた。
相も変わらずカタカタとスーパーコンピュータとパソコンとを一心不乱に打つ青色の背に、呼びかける。
こいつ、ぼくが来てること忘れてるんじゃないか?
そんな思いも唯の戯言でしかないのだけれど。
「おい、引きこもり。ちょっと外出ようぜ」
「うに〜、いーちゃんからデートの申込だーい!ぶいぶい」
玖渚はゆるりと腰を浮かした。てっきり飛び上がるかと思ったのに。
それで何処に行くの?とクローゼットを片っ端から開けてゆく。
そこには引きこもりとは思えない程の服の山が積まれていた。
中には<仲間>からの贈り物も含まれているのだろう。
ぼくは窓を開けて答えた。
随分と暖かくなった風が部屋に通る。
「桜が綺麗、なんだってさ」
玖渚はふぅん、と引っ張り出した服を器用に着始めた。
服の上に服を着て、淡い水色の長袖を引き抜く。
代わりにクローゼットから救出された真白いワンピースが足元の裾を踊らせる。
着替えるなら言えば良いものを。
ぼくは今更背中を向けた。
「いーちゃん、髪くくって〜」
後ろを向いた瞬間のことでぼくは一回転してしまった。
タイミングが悪すぎる。
そして玖渚に近づき、櫛とゴムを受け取り、軽く髪を透いて一つに縛った。
二つよりも大人びて見える。…戯言だけど。
「じゃぁ、出発なんだねっ!」
みいこさんに借りたフィアット500で目的の場所までゆっくりと向かう。安全運転は基本である。
「いーちゃん、いーちゃん。僕様ちゃん、本当に嬉しいよ」
「そんなに珍しいことしたかよ」
「何言ってるのさ。いーちゃんが僕様ちゃんとデートに行こうなんて、少なくとも十年は先だと思ってたよ」
ぼくのデートの誘いが珍しいらしく(そんなつもりは無いのだけれど。二重の意味で。)玖渚はシートの上で飛び跳ねた。
上下運動の出来ない彼女にそんなことは不可能だけれど、それでもそんな勢いでぼくに話しかけてくる。
その内に騒ぎ疲れたのか、こくりと頭を垂れて玖渚が揺れ始めたので、ぼくは一端コンビニに寄ることにした。
考えてみれば、飲み物くらい準備しておかなくては例え真夏ではないにしても水分不足になってしまう。
「友、何飲む?」
「んー、ミネラルウォーターでいいよ」
休憩のつもりだったのだけれど、玖渚は一言返してから役目は終わったとでも言いたげに目を閉じてしまった。
それは買い物を終えて車が走り出しても同じだった。
もう後5分もすれば着いてしまうというのに。
コインパーキングに駐車して、桜並木を歩く。
懐かしい鴨川に一瞬、銀色を見るが、それは青色に塗り替えられた。
玖渚がぼくの顔を覗きこむ。
「きれい、だな」
ぼくは言った。
仄かにピンクに色づく桜を見上げて、その青色を視界から消すように。
しかし自然、空の青さが目に入って、どうやら青色からは逃げられないようだと溜息をつく。
「確かにとっても綺麗だけど、」
玖渚は隣で同じように桜を見上げて呟いた。
いつもの明るい、馬鹿みたいに溌剌な声ではなかった。
どうしたことだと、その横顔を見つめる。
「毎年見れるものなのだから毎年感動するなんて馬鹿らしいことだよ」
桜は音もなく舞い散って、玖渚とぼくを隔て、その表情は見られない。
けれどすぐにいつもの玖渚に戻って、でもやっぱり綺麗なものは綺麗だよね、と笑顔で返してきた。
「そうだな」
あの一瞬の玖渚が一体何なのか、ぼくは考えないことにした。
今、隣で笑って花弁に埋もれる玖渚は、ぼくの知ってる青色だ。
空を見て、隣を見て、ぼくは青色に囲まれる幸せに笑えただろうか。
.
2009/12/05