あはれなるもの

□鈴虫
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「斎藤はん。
 うち、今度身請けされることになりました。」
 
 遊女が、男に告げた。
 二人は深い中ではない。
 
「もう、斎藤はんとお会いすること、ありまへん。」
 
 男の、馴染みの太夫と遊女が親しいだけの、顔馴染み。
 
「斎藤はん。」
 
 ただ、二人は知っていた。
 
「斎藤、はん。」
 
 普通なら知るはずのないことを、知っていた。
 
「斎藤さん」
 
 呼び方が、声音が、態度が、雰囲気が、全てが、変わった。
 其所にいるのは遊女ではなく、唯の女。
 
「斎藤さん、もう一度だけ答え合わせ、しましょ。」
 
 請うように女が言った。
 男は唐突に、眼の前に在る未来を一つ読み上げた。女は其の声に泣き笑うのように微笑んで、次の未来を読み上げた。
 交互に未来を読み上げる声が響く。
 他の部屋の喧騒なんて、聞こえぬかのように。時々行灯の火が揺らめいて、二人の影も揺らめいた。
 一八六八年の五月の、ある未来を読み上げたのは、どちらだったのか。
 其れを最後に、二人共黙り込んだ。
 
「斎藤さん。」
 
 女は、涙を浮かべていた。
 
「未来は、変えられないんですよね。」
 
 男は、答えない。
 
「私達は何も、出来ないんですよ、ね。」
 
 女は顔を覆った。男は見詰めた。
 
「変えられないのに、こんな能力…何の、為」
 
 ゆっくりと男が泣く女に手を伸ばした。そして、抱き寄せた。
 
「見届ける為だ。」
 
 男は囁いた。
 
「見届けたくなんて、ない。
 知りたくない信じたくない酷過ぎるこんな未来こんな未来なんて酷過ぎる」
 
 女は泣き叫ぶ。
 
「俺が、見届ける。
 だから、お前は」
 
 男が何と続けたのかは、判らない。

  
『未だ来ていない。』
 


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