あはれなるもの
□蜻蛉
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「ネコさん。」
そう呼び掛けられ、猫(マオ)は周囲を見回した。
「ネコさん、ネコさん。こっちよ。」
声は正に今、自分が歩いている塀の内側。
西洋風屋敷の二階の開け放たれた窓の一つから。
「にゃあ。」
ネコのふりをして、返事をした。
上手くすれば餌にありつけるかもしれない。
空腹だった。
「お話相手になって下さらない?ネコさん。」
プラチナブロンドの髪が揺れているのが見えた。
塀から、丁度良く、室内に飛び込めそうな樹に跳び移り、その樹を進んで窓に近付く。
「こんにちは、ネコさん。」
中を覗き込めば、車椅子が眼につき、その事実に一瞬戸惑い、反応が遅れた。
「ネコさん?」
女性が首を傾げると、緩く波打つ髪も揺れる。
「にゃ、にゃあお。」
そう、声を発し、屋内へ跳び移る。
「いらっしゃいませ、ネコさん。」
ふんわりと笑んで、女性は車椅子を動かした。
「ミルク、といっても紅茶に入れたのの残りなんだけれど、それで良いかしら。」
テーブルに向かい、カップを退けたソーサーにミルクを注ぐ。
「どうぞ。」
トントン、と机を叩く女性に、しばし逡巡するも、まぁ自分はネコなのだから、と自己完結。
そうしてテーブルに飛び乗り、ミルクを舐め出した。
本当はもっと食べ応えのあるものの方が嬉しいのだが、仕方がない。それに、随分と上質のミルクらしいので、良いとしよう。
「いかがかしら、ネコさん。」
「にゃあ。」
顔を上げて答えれば、女性は眼を細めて微笑んだ。
「良かったわ。」
女性はゆっくりと猫を撫でる。
撫でながら、ポツリポツリと独り言のように話し掛けた。
猫はミルクを舐めつつ、時折女性を見上げては相槌を打つように鳴いた。
暫くして、ミルクが無くなった。
「にゃあお。」
「お粗末様でした。」
猫の言葉を『ご馳走様』の意味で受け取ったのか。
「ネコさん。良ければ、また私の話し相手になりに来てちょうだい。」
少し、寂し気な微笑みに思わず見入った。
「…にゃうう。」
そう鳴いて、女性の手に擦り寄る。
また来よう、と思った。
『深窓の』
その後、何度その窓の前を通っても、それが開いていることも、開くこともなかった。
寂し気な微笑みが忘れられない。