artistic

□art9-3
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 月の無い夜だった。
 
「そういや、あんた」
 
 二人して、空を見上げたまま。
 アタイは唐突に口を開いた。
 
「名前、何て言うの。」
 
 身長の関係上、彼女の顔を見ようとすると、見上げる形になる。
 丁度、此方を見た彼女と眼が合った。
 
「名前」
「うん、アタイはルルゥっていうんだ。
 あんたは?」
 
 にっこり笑って訊けば、彼女はすっと眼を逸らした。
 
「どうしかした?」
 
 首を傾げて、問い掛けた。
 
「無い、わ。」
「『無い』?」
 
 ゆっくりと、彼女は空を見上げた。
 今夜は星が綺麗だ。
 
(優しく、静かに瞬いている。)
 
「名前も、置いてきてたの。」
 
 …え。
 
「置いてきたって、そんな」
 
 物とかお金とかならわかる。
 それに、未だ、地位とか名誉とかなら。
 名前を置いてくるなんて、そんなこと出来るのか。
 
「だって、名前だろ。
 なきゃ困るじゃないか。」
「…困らないわ。
 其れに、困ったとしても、其れは大切なことでは、無い。」
 
 赤い瞳が、此方に向けられた。
 
「大切なことは、私の名前を、私にとって呼んでほしい人が、呼んでくれるか、どうか。」
 
 初めて会った時。
 
「家族も、友も、大切なもの、全部置いてきて。」
 
 彼女は、全部を置いてきた、と言った。
 
「だから、名前も置いてきたの。」
 
 初めて、彼女が言った言葉の意味を理解した。
 
(置いてくる、ということ。)
 


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