緋色に導かれて(再筆)

□月夜の下
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郊外の夜の荒野。静寂に包まれる中、佇む人影。
月明かりから姿を隠し「彼女」は気を張り巡らせていた。


細い腰に携えられた業物。
鋭い眼光。

彼女──浜坂蛍は人斬りである。





月の光の届かない川縁に身を潜ませ、蛍は目的の唐橋を見つめ続けていた。
激情や躊躇といった感情の変遷を欠片も映さない無の表情、立ち振る舞いで。




やがて、橋に向かう影を彼女は確認した。
夜に紛れて姿形は視認できない。だが、それ以外の人の気配は感じ取れなかった。


一人で来たのだと察した。




(…後ろを取るか。)



彼女は殺気も闘気も感じさせない。

そのまま蛍は忍び寄ろうと…した。




不測の事態に、彼女は思い掛けず動きを止めてしまった。

なぜなら。








「浜坂さーん。どこにいますー?」



目標の人物が急にそう、大きな声を上げ始めたからだ。
場違いなほど幼気な声に口調。

そして最も彼女を戸惑わせたのは、その者が呼んでいるのが、他でもない彼女自身の名であることである…



「浜坂さーん。」



油断を誘おうとしているのだろうか。


だが、自分を探している以上、自分がここにいることを知っている以上、この者は間違いなく「かの人物」の使いである。

そうである筈なのだが…




この行動も奇妙だが、もう一つ気になる点があった。
この者は彼女と同じく、闘気も殺気も放っていない。

否、感じ取ることが出来ないというべきか。それ故に思惑を図りかねるのである。





「浜坂さーん、浜坂蛍さーん。」



逡巡している間も影は彼女の名を呼び続けている。



(何なの…この人。)


「うーん、出て来ませんか。そんなに怪しいかなあ?」



怪しい、と蛍は心の中で返した。




微かに差す月明かりを頼りに知り得たのは、やはりその者は一人で来ているのだということ。

声質が非常に女性と似通うが、声色や仕草から伺うに、恐らくまだ若い男…
それも自分より少しばかり若輩といったところだろうか。


ただ、人斬りの風合いと通ずるものを感じた。




「…行くか。」



蛍は腹を決めて唐橋に歩み出した。








そして微かな物音と共に近付いてゆく姿を認め、影は囁いた。



「ああ、あなたが浜坂さんですか。探してたんですよ。」



青年は朗らかに蛍を出迎えた。


雲の切れ間から差す月明かりが、彼の素顔を照らし出していく。

青年の無邪気な笑顔を蛍は目の当たりにした。




「お待ちしていました。瀬田宗次郎と申します。」



柔らかな物腰で宗次郎は微笑んだ。

流れた夜風に棚引き、青い着物と漆黒の髪が乱れるも、彼は少しも表装を崩さなかった。





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