緋色に導かれて(再筆)

□序章
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「お待ちしていました。瀬田宗次郎と申します。」



柔らかな物腰で宗次郎は微笑む。

流れた夜風に棚引き、青い着物と漆黒の髪が乱れるも、彼は少しも表装を崩さなかった。




(瀬田宗次郎…)


「今日は遥々、ありがとうございました。」

「…あなたよね?」



挨拶も余所に彼を真っ直ぐ見つめ、確信的に呟く。
青年は笑顔を浮かべたまま彼女を見返した。



「何の話です?」

「私の周りを嗅ぎ廻っていたのは。」



この青年には見覚えがあった。

東京での雑踏の中、捉えた後ろ姿。
幾ばくもなく人波に飲まれて見失ってしまったが、その光景を蛍は昨日のことのように思い返していた。


蛍は懐から文を取り出す。
それを一瞥した彼は、ああ、と感嘆の台詞を零した。



「僕です。御明察ですね。」

「冗談を。」

「でも、嗅ぎ廻ってただなんて心外だなあ。」



とても気分を害したり感情が昂ぶっているようには見えないが。
そんな蛍の気持ちを知ってか知らずか、彼は続ける。



「さすがに浜坂さんのお仕事場へは行けませんでしたから。」

「でしょうね。」

「お手紙を渡したのは事実ですけど。」

「でも、直接渡したってことは尾行してたってことよね?」

「それはまあ…ごめんなさい。」





にこにこと話す様に蛍は訝しみに囚われる。



「やはりただの坊やじゃなさそうね。」

「すみません、悪気はないんですよ。」

「…で?私はどうすればいいわけ?」



「ああ。そうですね、それが本題なんですよ。」




刹那、蛍は抜刀していた。
耳を劈くような音が静かな闇に冴え渡る。




「…さすがですね。」

「見かけによらずせっかちね。」



白刃を剥いた刀は二本とも互いに斬り掛かり、互いに斬擊を受けたのだった。



「そう簡単にお命頂戴とはいかないわけですか…」

「随分と大きな口叩いてくれるじゃない。」

「いやぁ、お見逸れしましたよ。」



宗次郎は微笑みを浮かべたまま刀を鞘に納める。
蛍は彼の奇妙な点に口を閉ざす。



「やだなぁ、警戒しないでくださいよ。もう斬り掛かったりなんてしませんから。」

「…さっき、あなたから何の気配も感じなかった。」



何度も血を浴びたであろう刀を取った筈なのに。
何度も血を見たであろう眼をこちらに向けたのに。
青年からは“殺気“も”闘気”も感じ取れなかった。



「あなた、何なの?」

「?」

「まるで…」




──自分と同じく、感情が欠落しているかのよう。


そう蛍は感じていた。



「何を考えているのかはわからないけど、そんなに堅くならなくていいと思いますよ。僕はただ、」






「浜坂さんに一目会いたかっただけですから。」


「…そう。」



にこりと微笑みかけられた。









月が雲に隠れていく。
互いの姿も再び闇の中に溶け込もうとしていた。



「…それじゃあ、僕はそろそろお暇することにします。」

「…」

「また時期を見て会いに行きますから。」

「会えるかしらね。」

「きっと出迎えてくれますよ。」



真っ直ぐな瞳が射抜くように蛍の瞳を見つめる。





「僕、蛍さんに興味があります。」



無邪気に笑いかけられた。
黒い眼は蛍の姿をしかと映し出す。



「よろしくお願いしますね。蛍さん。」









──


「…変な子。」



時が来るまでは今まで通りということだろう。
宗次郎から託された件の文を想起する。



『十一月十五日の子の刻、桜木橋にて貴女を待つ。

志々雄真実』



(あの時の契約…)



──




やがて身を翻し、彼女は夜の東京、洋風街灯が仄かに街を照らすところへと身を運ぶのであった。




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