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□葛藤と爆弾
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葛藤と爆弾



「先生、今日うちの親」
「その手には乗らないぞ!!2度もはめられてたまるか!!」
「まず1度目がわかんねーよ何その濡れ衣」

世間的には休日の宵の口。いつも通りに食事を持ってきた木戸浩志の言葉に、半田清舟はふんぞり返ってこれ以上ないほどに得意気に返した。


「えっ」
「いやいやいや」
「お前忘れたのか!?あの仕打ちを!?」
「事実もないけど!?」

けれどそんな半田の暴言ともとれる台詞に、浩志は冷静に、かつテンポよく言葉を返す。さすがはオール3、と半田は内心感嘆した。常識的で、理性的な手本のようだ。
半田の言葉を浩志が冷静に否定するのも、当然である。半田の言う「仕打ち」とは、以前浩志が「今日は親が家にいない」と半田に言った日のことで、その言葉をひどく曲解したのは他ならない半田自身なのだ。半田はそれを浩志に騙された、と記憶していたが浩志にとってそれは濡れ衣もいいとこである。もちろん本当に騙されたと思っているわけではないが、何故かそう、脳が覚えてしまっていた。
あまりに淡々と返す浩志を不審に思い、半田はふとその日を思い返す。すぐに真実は記憶から掘り起こされ、ああそうかと一人頷いた。

「そういえばオレの勘違いだったわ」
「そんな悪びれずに言うのか大人のくせに」

かくり。浩志が項垂れる。思えば恥ずかしい勘違いだったが、それ以来半田は浩志に対してそういった、不埒な考えを抱かないようにしていた。わざと目を背けるかのように、あえて将来的にぶつかるかもしれない事柄を考えないようにしていた。肩を落とし呆れ返る浩志を好いている気持ちは変わらないが、高校生の子どもの体をどうこうしようという度胸はまだ、半田にはない。今はこのままでいい、と半田は思いつつ少しだけ笑った。

「で?今日郷長たちが何だって?」
「…ああ、いないからさ、」
「おお、何だ?」

「先生のとこ泊まっていいか?」

けれど。
投げつけられた爆弾は、先日よりはるかに進化していた。もはや核爆弾である。つい数十秒前の穏やかな気持ちが物凄い速さで崩れていく音を、半田はその時確かに聞いた。思わず、先に受け取っていた夕飯の包みをごとり、と畳に落とした。座っていたため特に被害はなかったが、半田の脳裏は恐ろしく荒れ始めていた。

「さては前回もオレを試していたなヒロ!!悪魔かお前は!やっぱり不良なのか!?いきなりこれだよほんとにお前は!!」
「えええいきなり何!?」
「こっちの台詞だろおおおおお!!!」

ばん!と力強く机を叩き激昂する半田に、浩志はびくりと肩を跳ねさせる。まるでわけが判らない、といった様子で首を傾げる浩志に半田は何も言わずに畳を叩き上がれと促した。頑固親父のようなその姿に眉を寄せつつ、浩志は大人しく従い縁側から部屋に上がった。
電気も点けていない薄暗い部屋に、二人きりだ。半田は目の前に座るよう浩志に促し、やはり浩志もそれに従う。夕闇の包む部屋に、向かい合って座る男が二人。怪訝そうな浩志の様子を気にも留めず、一人娘が無断で外泊をした時の父親のような態度で座る半田の内心は、威厳など少しもありはしなかった。

「……先生?」
「……………」
(考えないようにしてたのに何なんだよマジでヒロのバカバカばか)
「あー、べつに嫌なら無理にとは言わないから」
(嫌なわけないだろっていうかシュンとするなよ…お前が心に傷でも負ってみろ、お前だけじゃなく郷長にも奥さんにも申し訳が立たないんだよ!わあああそんな顔するなよ普段しないぶんものすごい罪悪感がうわあああ…)

脳内の饒舌さとは裏腹に、言葉は喉を駆け上がることを躊躇する。その無言を拒絶と捉えてか、浩志は苦笑して、何でもない、といった体を装う。それは泣くよりも何よりも饒舌に、拒絶されたことへの悲しさを物語っていた。ざくり。胸に鋭い刃が突き刺さるのを、半田は確かに感じた。
違う、と言いたくとも半田は素直に彼の心身を案じるような台詞を吐き出すことはできない。これは性分であり思想であり、半田自身にはどうにもできないレベルの問題である。好き合っていることは解っているのに、あまりに無防備に二人きりになろうとするこの青年に注意をしなければ、と思っていただけなのだ。傷つける気も悲しませる気も、ましてや拒絶する気などあるはずもない。喉が、居心地の悪さからひりつくほどに渇いていた。

「…………っ」
「…じゃ、じゃあオレ帰るから!おやすみ、先生」

何か、言わなければ。
そう思っているのに、言葉が見つからない。ああくそ、と脳内で悪態を吐く。傷つけずに諭す台詞を探す間に、半田の目の前で浩志が取り繕うようにからりと笑った。
気にしてないから、気にしないで。そう、顔に書いてあるような。そんな顔を、半田は初めて目にした。目は口ほどに、とはよく言ったものだ。先人の言葉にひどく納得して、思わず手を伸ばす。考えるよりも先に、手が動いた。立ち上がりかけた浩志の右肩を、半田の左手が掴む。シャツの布地が歪んで、じわりと後悔が霧散した。

「……………」
「……せんせい?」
「ヒロ」

名前を呼ぶ。少しだけ不安げに揺れた浩志の瞳を何とか見据えながら、半田はひどく大きな音で打ち鳴らされる心音を聞かれぬようにと密かに願った。

「…あのな、ヒロ」
「うん」
「その、泊まるって、お前…どうする気だったんだよ」
「どうするって、何がだよ」
「だから!……お、オレが変な気起こしたら…とか…」

早々に、半田の瞳はするりと泳いでしまった。掴んだ肩が温かい。しっかりと、浩志の目を見ることができない。殆んど俯くような状態で、消え入りそうな声で。半田は言う。無防備は、悪だ。己の無垢さを理解しない半田は、目の前の男子高校生のまた違った無垢さを嘆いて言葉を絞り出す。

「…………」
「…………」

沈黙が、走った。息を詰める音と己の心音のみを聞いて、半田は居心地の悪さに唇を震わせる。そろりと、顔を上げた。立ち上がりかけた相手を見上げるような格好で、視線を一瞬だけ彷徨わせる。縋るようで、ひどく格好悪く不本意だ、と半田は思った。
ようやく合わせた顔は、互いに茹だるように赤かった。見開いた両目が、動揺したように揺れている。己の吐き出した言葉への静かな後悔が、半田の思考の上澄みに漂っていた。

「………せ、」
「せ?」
「先生って意外とすけべなんだな…」
「何だと!!?」

驚いた表情のまま、やっとのことで、といった様子で吐き出された浩志の言葉に、半田の後悔は一瞬で掻き消える。思わず食ってかかるように上げた大声に、浩志はほんの少しだけ、安堵したように笑った。
小さく、ごく小さく浩志が呟く。よかった、と。それは半田の理解を超える言葉で、熱い頬がほんの少しだけ、冷えた。すとん、と膝立ちの格好だった浩志が座り直す。合わせて、掴んでいた肩から自然に手が離れた。力が抜けたようだった。

「先生でもそういうこと考えるんだって、安心した」
「失礼な奴だなお前!」
「え、失礼なのか」
「いや…オレだってそりゃあ……」

きょとんとした顔でぐっと距離を詰められ、覗き込まれて。一度冷えかけた頬がまた、かっと熱くなった。しどろもどろになる半田に、同じく赤い顔をした浩志が堪えきれない、といったようにまた笑う。年下のくせに、と睨み付けてやると、ふいに眉を下げる。何なんだ。そう、ろくに言葉も出てこない脳内で考えながら、半田は浩志を見つめていた。

「先生、あのさ」
「ああ、」
「あの………わり、あんま顔見ないで」

そう、浩志は顔を伏せる。耳まで赤くしながら、はあ、と息を吐き出した。表情が全く見えないほどに俯いているわけではないが、半田の視線から逃れるように浩志は瞳を閉じる。声が、震えていた。

「…その、い……いいよ、」
「は?」
「だから、へ、変な気、起こしても」

泣いているのかと思うほどに震えた声が吐き出した爆弾が、ゆるりと半田の胸に落ちた。爆音もなく、破裂する。じりじりと、理性を焼き切る爆弾である。
自らの言葉に耐えきれないのか、浩志は俯いたまま動かない。一瞬、閃光が走ったかのように白くなった半田の脳裏に、乱雑に思考が流れ込む。浩志の顔は半田からはあまり見えない。けれど、その言葉は、声は、彼が懸命に吐き出したものだと知れた。
一度は地に落としてしまった手を、再び伸ばす。両手でその肩を掴むと、浩志はぎくりとして背を強張らせた。

「………本当、お前は…」
「…先生に呆れられてるとなんか腹立つな」
「うるさい!どうなってもいいんだったら荷物取ってこいばか!!」
「どうなってもって…先生…」

どうにでもなれ、と半ば勢いで発した台詞に、浩志の顔がこれ以上ないほどに赤く染まる。少しだけ、半田の中に優越感が灯る。してやったり。そんな気分で動揺している浩志の顔を眺めていると、意外にも迷いのない動作でその体躯は立ち上がった。え、と思わず声をあげる。見下ろしてきた両の目は恥ずかしさのあまりか潤んでいて、僅かに拗ねたような表情がひどく扇情的に見えた。

「オレは先生になら何されてもいいけどな…」

くるりと踵を返した、その去り際に。呟くように発したその声は未だ少し震えていた。言葉は空中に溶ける。その意味を半田が理解する前に、浩志は玄関口へと駆けていってしまった。戸を閉める音でようやく、半田は思考の奥深くから意識を取り戻す。
時刻はとうに夜の中頃へと足を踏み入れている。月が、そこそこ高い位置へと昇っていた。畳の上に放置された夕飯の包みにぼんやりと視線を落としながら、半田は思案する。どうすれば、今晩己の理性が勝利を納められるのか、と。
十数分後、浩志が再びこの家の戸を開けるまで、半田の一人会議は続いていた。







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