ファイアレッド・リーフグリーン編


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 クチバシティ。

 豪華客船サント・アンヌ号の停泊している港は凪の海だった。
 夕日は完熟したオボンの実のように綺麗な橙色で、太陽が燃え盛っていることの主張のようでもある。白い船体のサント・アンヌ号もまんべんなく同様の橙色に染め上げられ、一流芸術家の製作したオブジェのようだ。
 トモエの帽子も、いつもの白からうって変わり、巨大な橙色に感化されている。

 船上パーティは実に華やかなものだった。美しき夕日を眺めながら、スパークリングワイン片手に談笑する紳士淑女は、映画のワンシーンといっても差支えない。

「凄いなぁ……」

 お世辞でも社交辞令でもなく、ただ純粋な感想として抱ける一文はそれだけしかない。過剰に装飾する必要もなく、一般庶民でしかないトモエにはその一言が精一杯の感想だったのだ。サトシが潔く身を引いた理由も分かるというもの。背筋が正されるような思いと評するよりは、背骨がねじれてしまうそうな緊張感と表すべきだろう。

 しかしながら、それは本来マサキが立つ位置なのだ。チケットを貰い受けたということは、つまりこの緊張感の中でも堂々と立ち振る舞える自信があったということ。
 今更ながら、マサキがどれだけ凄いのかが身にしみるトモエであった。


 そんなとても偉い研究者であらせられるマサキからの伝言。

「――ああ。一応船上パーティに参加する時の格好やけど、変に飾り立てんで、旅をしとるそのまんまの服装で参加してくれ。んで、できるだけポケモンはモンスターボールから出していくんやぞ。わいらみたいな辺鄙のポケモン研究者まで呼んだいうことは、その乗船しとるお偉いさん方はポケモン関連の話が聞きたいいうことでもある。ま、やたらと専門用語が飛び出す技術屋の自慢話よりも、実際に現在進行形で旅をしとるトレーナーの生の経験談の方が、よっぽど興味深いやろ」

 とのことなので、トモエはいつもの白い帽子にタンクトップとプリーツスカートの姿で赴く運びとなった。

 世界的シェフが腕によりをかけたという三種の木の実のジェラート(ポケモン用)を頬張って、だねさん達もご満悦の様子だ。
 トモエもジンジャーエール(一口飲んだだけで高級さが分かる)を頂いて、喉を潤している。

「はぁ……、やっと休める」

 これまでずっと、トモエは口を閉じる暇がないほどに喋りっぱなしだった。

 どこから伝播したのか知る由もない話だが、ポケモン転送装置の開発者で名だたるマサキの代わりにトレーナーの少女が参加するという前代未聞なことが起こったと、トモエが乗船してものの五秒でタキシードとゴージャスなドレスに身を包んだ人々に包囲された。

「た、旅をしているって、どんなふうにっ? 護衛の人とかいるのっ?」
「い……いえ、独り旅です」
「一人で!? だ、大丈夫なの? 絶対にうまくいなかいよっ。だって洗濯も食事もポケモンの世話も、ぜーんぶ自分でやるんだろう? 夜に野宿しないといけない時だってあるのに……。そんなの無理だよ。しかもお嬢さんみたいな、か細い腕の女の子でだよ? ……君、嘘吐いているんじゃないだろうなっ」

「ねえねえ。ポケモンをバトルさせるって難しそうなんだけど……、お嬢さんはうまくいっているの?」
「まあ割と。ジムバッジも二つありますし」
「え、えぇーっ!? 嘘。こんな、こんな女の子がジムリーダーを二人も倒したってこと!? 嘘よ! もし本当だったとしたら、全くポケモン協会は職務怠慢だわ! 子供に倒されるなんんてジムリーダーの役職も、地に落ちたものよ!」

「あら、ピカチュウじゃない。トレーナーさんはどなたから頂いたの?」
「いや、トキワの森で捕まえたんですけど……」
「なんて野蛮なの!? ポケモンは自然にあるべきで、私達人間は干渉しちゃあいけないのっ! ブリーダーの方から頂くのがポケモンにとってもトレーナーにとっても最高のあり方なのっ!」
「半ば自分の意思でついて来てくれたようなものなんですけどっ……」

「ママー! ポッポがいるーっ! 汚いー!」

 旅をしている最中のトレーナーが来たと言われているのだから、てっきりちやほやされると勘違いしていたトモエに浴びせられたのは、罵声に絶叫、疑念や悲鳴など、聞くに堪えない不協和音のオーケストラだった。
 特に自慢の毛並みを「汚い!」と罵られてしまったぽぽさんは傷心中だ。トモエの肩の上で羽毛の塊と化している。昔はこういう形態の生命体がいたらしく、「ケサランパサラン」と呼んでいたんだとかそうでないとか。


「どこが汚いんだろ。ぽぽさんの綺麗な羽毛の素晴らしさが分からないなんて……」
「――そうね、そのポッポの毛並みはとても美しい。艶があり、それでいて温かな空気を含んで柔らか。そんじょそこらの鳥ポケモンとは、わけが違うどころか格が違うわ」
「そうですねぇ……って、え?」

 壁にもたれかかるトモエの隣、自分と同年代の少女がクールな面立ちをして、腕を組んだ姿で立っていた。

 他の参加者と同じ札束の山がごっそりできそうな高価なドレスは、体のラインに合わせて細身に作られている。おそらくオーダーメイドなのだろう。長い黒髪と少女らしからぬ俯瞰からの視点を有した切れ長の瞳は、彼女をぐっと大人っぽく見せていた。
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