エメラルド編
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ムロジムリーダー・トウキ。
数年前までカントー四天王の一人と互いを鍛え合っていた強者であり、その時トウキは「柔」の奥義を会得し、カントー四天王の方は「剛」の奥義を会得した。トウキの会得した「柔」の奥義とは、相手の力に逆らわず受け流す戦法のことらしい。人間で言うところの所謂柔道。受け身をとってダメージを軽減し、相手の力をあえて利用することで勝機を掴み取る……。
ジムの中は深海のそれだった。光を一切合財許さないような強固すぎる闇の胃袋は、ハルカの行く手を阻むどころか、ある種誘っているようでもあった。
「元気、しとうや?」
「うわ!」
突如かちりと灯った懐中電灯の明かりに、ハルカはぎょっとした。
「そ、そんなに驚かないでくれよ……。私はただの案内人だからさ……」
自称ただの案内人は、おどおどとしたふうで両手を振りながら、ハルカをなんとか説得しようとしている。カナズミジムでの威勢の良く豪快な説明の男とは、まるっきり正反対だ。
「はいこれ」
男は腰に付けていた無数の懐中電灯をハルカに差し出す。
チープなプラスチックでできた、三角フラスコのような形状の、とてもシンプルでメジャーなタイプのものだ。災害に備える時にありそうな、持ち手の付いた大きなボディではない。ハンディタイプの、手にしっくりくる大きさの懐中電灯だ。
蛇足だが、ハルカの上着のようなオレンジ色をしていた。
「ムロジムのトウキさんは石の洞窟を修行場所にしている。けれどもこうやってジムリーダーになった今、町の治安を守る役目もあるから、そうそう修行なんてできるわけではないんだ。だから、こうやってジム全体を人工的な石の洞窟状態にすることによって、自分を意図的に追い詰めているってわけさ」
「ふーん……」
意図的に自分を危険な状況へと追いやる。
それは、なにより楽や安全を優先させるハルカの性分とは、真っ向から対立するものであった。
「だから、これが必要ってわけなんですよ……っと」
男は懐中電灯をかちりと灯す。
「暗いと人は動きずらい。けれども暗くせざるを得ない。そんな状況に置かれたら、こちらから変えるしかない」
「変革を待ち望むのではなく、こちらから変革するしかないってことですか。ただ黙って指を咥えて見ていても、現状はジリ貧になるだけ」
「ちょっと政治チックな表現だけど、あながち間違いじゃないね」
案内人は優男みたいに笑った。
「そしてジムトレーナーを一人倒すごとに、電力が一定量チャージされる。ジムリーダーであるトウキさんを倒せば最高量になるってわけさ。……ああ! わ、私はただの案内人であって、ジムトレーナーじゃないから、そこのところは履き違えないでくれよ……っ?」
そのあまりの怯えっぷりに、ハルカはなにかトラウマが植えつけられるようなことがあったんじゃないのかと疑わずにはいられない。
「まあ、とにかくだ」
男は話を改める。
「頑張ってこいよ、挑戦者! ジムリーダーのトウキさんは伊達じゃない」
「ええ。分かっていますよ」
カナズミジムリーダーのツツジを倒したことを聞きつけ、わざわざ頭を下げてまで勝負を挑む男なのだ。その戦いへのあくなき追求精神は、他のトレーナーとは一線を画す。いや、寧ろ常軌を逸していると評した方が本人も喜ぶかもしれないと、そんなことを思えるまでにはハルカもトウキという男のアイデンティティを理解していた。
こんなに短い時間でしかなかったのに。
しかしトウキをどんな人間か思考する時間は山のようにあった。
「――分かっています」
それでも、ハルカは義務を果たすために、戦う。
「分かって、います――」
呟く言葉は、まるで尻込みする自分に言い聞かせるよう。
「それでは」
かちりと点けた明かりは、ハルカの心持ちのように頼りない光を放っていた。