とある宇宙飛行士の話
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 彼が宇宙に旅立ってから3日後、あ
の宇宙飛行士さんが不慮の事故で行方
不明になったというニュースは、にわ
かに日本中を悲しみの渦に巻き込みま
した。いつもは滅多なことでは取り乱
さないお姉ちゃんもこの訃報を初めて
耳にしたときには随分驚いたようで、
目に薄く涙の膜を張って唇を噛んでい
ました。
「わずかばかりの酸素と共に広い宇宙
に放り出されてそのままなんて、なん
て心細い思いをしたことでしょう!」
 揚々とインタビューをしていたあの
記者も総理もニュースキャスターも、
現文の先生も古典の先生も私の友達も、
そう言ってはおいおい涙を流していま
した。お姉ちゃんは「でも皆すぐに彼
のことを忘れて、また俳優やアイドル
に夢中になるのでしょうか」と静かに
それを眺めながらも、やはり若い有能
な方がひとり失われたことを嘆いてい
るようでした。
 国中がそんな雰囲気に包まれる中で、
全く悲しむことのなかった人が2人ば
かりいます。それは、古屋先生と私で
す。

 恋しい人を追いかけて、本当にソラ
の上まで行ってしまった先生のご友人
のお話を私は思い出しています。
 おそらく彼はひとりぼっちではない
のでしょう。遠い遠い宇宙の中できっ
と、愛しい彼女の姿を見つけたから彼
は行ってしまったのだと、なんとなく、
そう思うのです。私は彼も彼女も、直
接の知り合いではありません。ですが
上を見上げると、青い青い空の向こう、
広い宇宙でふたりぼっち、流れ星の間
を潜り抜けて月のウサギに目配せして、
地球にいた頃と同じように彼女を追い
かける彼の姿が、まざまざと浮かぶよ
うな気がするのです。


 あれからしばらくして、宇宙飛行士
さんの話を耳にすることも少なくなり
ました。テレビはカモの親子の行進や、
パンダの赤ちゃんの話題で持ちきりで
す。友だちは皆また忙しそうにアイド
ルの話に花を咲かせています。非常勤
の科学教師は相変わらずいけ好かない
ですし、お姉ちゃんはまた悩みが増え
たようで、小難しいことに頭を悩ませ
ています。私の恋にも進展はありませ
ん。
 ただ、今までよりも彼と一緒にいた
いと思うようになりました。授業中や
休み時間にクラスの異なる彼を探すの
は大変ですが、愛おしい人を追いかけ
るのもなかなか悪くはないものです。


【2012.09.24.】

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