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窓の外を流れる春風が白桃色の花片を吹き上げるのを見てやっと、また今年もこの季節がやってきたのだと実感した。



自分が勤めている学校もつい数日前に入学式を迎え、見慣れぬ顔が辺りにひしめき合っている。

といっても、人間の性格やら顔かたちやらを大まかにジャンル分けしようとすればそう種類は多くないわけで、
「アイツは今年卒業した安田に似てるな」
とか
「あの子の性格は去年の3−Cにいた三好みたいだ」
とかそんな印象しか受けない。

やはりどんな世代にしろ、学年にしろ、そこにいる人間ひとりひとりに本質的な違いはないのだ。


だからと言うのもおかしいが、まるでそんな俺の説を指示するかのように、
2・3年に一度、彼女は現れる。



風に舞うプリントに嫌気が差して、窓を閉めようと外を見れば、白い曇り空の下に桜が頼りなさげに花を綻ばせていた。

この季節、その並木の元で初恋の彼女の面影を持つ生徒を見つけるたび、俺はどうしようもない気持ちになるのだ。

散っていく花びらの中を名残惜しそうに小さくなっていく姿は、まるで儚く消えたあの子を連想させるから、つい今すぐに追いかけてその腕を掴みたい衝動に駆られる。


今更赤の他人相手にそんな事を思って何になるのか。

無駄なことを、と見上げた空から、ふいに雨粒が落ちてきた。


あ、花が…

"散ってしまう"


そう思った瞬間、
ほぼ本能的に、


「さくら!」



短く、でもはっきりと、
初恋の君の名を叫んでいた。



はっとして口を押さえるが、出た音はそこに戻らない。



幸い生徒は少なかったものの、何人かは不思議そうにこちらを見ている。
(まぁ、当たり前の反応だ。)
用務員さんは「桜?」と不思議そうに、箒の手を止めて木を眺めていた。

…我ながらいい歳こいて恥をかいた、と、決まりの悪い気持ちで、少しばかり赤らんだ顔を隠すように窓を閉める。


…寸前だった。




「…なんですか?」


予想していなかった、返答。
思わず、へ?と間抜けた声を出しながら、その主を見た。

そこにいたのは、線の薄い印象を受ける女子生徒──黄色いリボンを付けているところを見ると一年なのだろう。
少なくとも俺の知る生徒ではない。


彼女は何故か少し息を切らした様子で、眉を寄せ不思議そうに言った。

「先生さっき、私のこと呼んだんじゃないですか…?」

「さっき…?」

「"さくら"って叫んでいたから…」


「…あ、」

彼女の胸の真新しいプレートには、綺麗な文字で「佐倉」と書かれている。
どうやらこの子は、先ほどのあれをそう勘違いしたらしい。


用がないなら帰ります…そういった様子でいる少女に、とっさに近くに置いてあった傘を渡した。


「雨、降ってるから。」


受け取った彼女の顔はきょとんとした表情。


「え…?まさかそれで呼んだんですか…?」

「お前見た感じ体弱そうだから。
風邪とか引かれると困るんだよな、俺が保険医だから。」

なんとか上手い口実をつけられたか、と少しホッとする。
(まぁ実際のところはなんのごまかしにもなっていないのだろうが。)


「…ありがとうございます。
…でも先生、なんで名前…?」

「気をつけて帰れよ。」


口早にそう言ってピシャリと窓を閉めた。


その音に驚いたのかぴくっと肩を揺らして固まった佐倉は、どうしたものかと傘を手にオロオロしていたが、
しばらくこちらを見て俺が窓を開けるつもりがないと理解すると、ペコリと頭を下げて、また校門へと歩いていった。





「…あちっ!」


…そんな彼女に見とれていたことに気付いたのはコーヒーを手にこぼしたときで、デスクに戻っていたはずの俺はいつの間にか、窓辺で桜を見つめていた。

先ほどまでの頼りなさは感じなくなっていたものの、変わらず雨に濡れつつそこに咲く花はやはり、俺の目を離さない。


やはりどんなことがあったとしてもこの季節は好きになれそうにないな、と、白衣に広がったシミを見ながら苦笑した。








の中に
絶えてのなかりせば
の心はどけからまし

(もし世の中に)
の花が全くなかったならば、)
(人々のの心は)
(もっと落ち着いているでしょうに!)






【2010.03.07.】


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